13日(木)は『古事記』講座の日。講座開始から1年余り、ようやく上巻(かみつまき)も後半になって、これまで大国主神の事績と系譜が語られてきました。大国主神は大和の三輪山に大物主神(おおものぬしのかみ)を祀って国造りの役目を終えました。

須佐之男命の子孫は大きく二つに分かれていて、そのうちの一つが大国主神系、もう一つが大年神(おおとしのかみ)に連なる系譜です。大年神が生んだ神々の名は、大国御霊神(おおくにみたまのかみ)以下五柱、大香山戸臣神(おおかぐやまとおみのかみ)以下二柱、次に九柱の神を生み、あわせて十六柱とあるのですが、実は最後に娶った天知迦流美豆比売(あまちかるみずひめ)との間には十柱の名が書かれているのです。

研究者の中には苦肉の策として重複している説を採る方もいらっしゃいますし、記述の矛盾を無視する(全然触れない)方もいらして、シロウトとしてはなんとかして欲しいのですが・・・。

神統譜と照らし合わせると庭津日神(にわつひのかみ:庭=農耕祭祀の場の神霊化)が欠けていました。ニワさんは11番目の子にあたるのに、どうして無視されたのでしょう?講座の先生は筆写する時に数え違っただけなのではないか、と云っていましたけど、う~ん、気になるゎ。

 

さて、ニワさんのすぐ上のお兄様が大山咋神(おおやまくいのかみ)またの名、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)で、山頂の境界を示す大きな棒杙を意味します。鎮座されているのは近江国の日枝山(比叡山)で、京都・松尾に鎮座して鳴鏑(なりかぶら)を持つのも同じ神です。全国にある山王さん(日枝/日吉神社)の総本営にあたります。

山王さんといえば、わらべ歌にも歌われる“赤いおべべが大好きなお猿さん”を思い浮かべませんか?尾張の日吉神社に祈願して生まれたので幼名を日吉丸といったとも伝えられる秀吉は、サルと呼ばれていました。山王さんといえばお使いの神猿、というわけで秀吉のニックネームは、外見プラス幼名からの連想もあるのかもしれません。

比叡山に延暦寺を建立した時に、最澄が大山咋神と大物主神を延暦寺の守護神として祀ってから山王信仰が始まったと云われていますが、サルとの関りは諸説があって不確かです。