タイトルにしたのは、かっぱえびせんの漢字表記、商標登録されているそうです。
なかなか巧いけど・・・でも中国語で発音したら?(チガウよね)
中国を話題にするので、こんなタイトルにしました。
キャッチフレーズは《やめられない とまらない》。
かっぱえびせんのように、やめられないとまらない小説『両京十五日』、下巻も疾風怒濤の展開をみせていますが、大団円はあと一息(下巻の真ん中をすぎたところ)。
さすが中国の小説、引用されている漢詩・漢文は多様で、かの地の古文にうとい私にはとても勉強になります。感想や登場人物などについては読み終わってのお楽しみ、今日は備忘のためのメモです。
主人公のひとり、女医の蘇荊渓が親友を偲んでくりかえし口ずさむ詩に“秋千”と云う言葉が出てきます。あ、鞦韆(しゅうせん:ブランコ)だわ!と反応したのは、中野美代子先生の本を読んでいたからです。
鞦韆遊びをするのは女性、古代中国の宮廷では皇帝の目をひくために宮女たちがこいだとされ、いささか性的な意味合い*を持っていました。
*ひるがえる衣の裾から、ちらりと足が見える。玄宗皇帝は
宮女たちが遊ぶ様子に仙女を見たのか、鞦韆を半仙戯と呼んだとか。
北宋の蘇軾のあまりにも有名な詩「春夜」にも
春宵一刻値千金 花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈
花香り月光が美しい春の宵に、楼台からは歌や管弦がはるかに聞こえ、
(乗り手もない)中庭のブランコがかすかにゆれて、静かに夜は更けてゆく
と鞦韆が詠われています。(自己流解釈です、悪しからず<m(_ _)m>)
鞦韆には秋を含んでいますが、上記のように漢詩でも日本の季語でも春の題材です。
中国の祝日〈清明節〉の前にあるのが冬至から105日目の〈寒食日(かんしょくび/かんじきび〉で、火を使わずに用意された食事をするのが習わしだそうです。
新暦では4月初旬にあたり、古い火を消して新しい火を熾すとか、植樹に適しているとされ、農耕儀礼のひとつです。この日に女性が鞦韆遊びをするのも、収穫への予祝の意味合いがあるようです。
清明節から連想されるのは、幾度も取り上げている北宋の文人・張択端の画巻『清明上河図』です。清明節を祝う首都・開封の賑わいが描かれています。
ざわめきが聞こえそうなほど画巻に描きこまれた人々のなかには、寒食日をつつましく済ませてやって来た近郊の村人も大勢いたことでしょう。(画巻のはじめに農村風景が描かれています)