本『天平グレートジャーニー』 上野誠 講談社 2012年 初版

 

この本の著者上野先生は長らく奈良大学で万葉集を研究・講義されてきた学者です。

歴史学・考古学・民俗学もふくめて、まるごと万葉の世界を研究されているので、従来の歌の解釈にとどまらない視点をお持ちです。1960年生まれですからまだ60代、この本を著した頃はまだ現役の教授でした(現在は奈良大学名誉教授で、母校国学院大学の特別専任教授)。

頭の中には万葉集の索引を備えているのではないかと思われる先生が小説の題材に選んだのは、天平5年(733)に派遣された第九次遣唐使の一員だった平群広成(へぐりのひろなり)です。

この小説の基調になっているのは、帰朝後の天平11年(739)11月3日に朝廷に召喚されて語った、出発から帰朝までの漂流冒険譚で、『続日本紀』天平11年11月辛卯(3日)の条に記録されています。

  正使・多治比真人広成(たじひのまひとひろなり)は天平7年(735)に帰朝し、

  出発時に遣わされた節刀(正使の印である刀)を返上しています。

  この時に一緒に帰ったのは、第八次(717年)で入唐していた留学僧・玄昉と

  留学生(るがくしょう)・下道(吉備)真備に加え、短期留学の請益生(しょう

  やくしょう)・秦大麻呂です―『続紀』天平7年4~5月の条

  遣唐使は船団を組み別々に乗船します。唐に向かう時は待ち合わせの港で船

  団を整えますが、帰朝は海難事故などでばらばらになり、亡くなることも。

  また、この時の副使・中臣名代(なかとみのなしろ)は、天平8年(736)

  8月に唐人とペルシャ人を帯同して帰朝しています。

天皇は聖武天皇、時の唐皇帝は玄宗、小説には、第八次で入唐し、有能さ故に重用されて引き止められ帰国が叶わなかった阿倍仲麻呂も登場します。

 

平群広成は副使に次ぐ4人の判官の一人です。『続紀』から事績を追うと、報告を上奏した年の12月に正五位上に昇進し、天平19年(747)従四位下、21年(749)従四位上になりました。

この頃日本は、天然痘が繰り返し大流行し、地震が頻発、旱魃や水害による不作が続き、藤原広嗣の乱が起きるなど不安な状態にありました。天皇は苦悩から逃れるように恭仁京~難波京~平城京などを転々として国庫をさらに疲弊させていました。

大宰府の廃止や防人の停止が決まり、大仏造営が計画されて国の安定化が図られますが・・・。

目次

第一部 好去好来 

    このタイトルは『万葉集』巻5―894~896 

    山上憶良から大使多治比広成に贈られた「好去好来歌」によります。

    また5節には、天平5年遣唐使の母から息子に贈られた 巻9―1790の歌が

    平群広成の母の歌として引用され、

    8節では、憶良の辞世の歌 巻6―978が第一部の締めとなっています。

    第一部では遣唐使の人選、天候次第の旅程、絶対的な糧食不足を乗り越え、

    新羅海商との協力によって蘇州に至るまでの船旅が描かれます。

第二部 桃の種

    国際都市蘇州の殷賑の驚く遣唐使たち。一行は隋の煬帝が通した大運河を

    通り玄宗に招かれて長安へ向かいます。皇帝の招待は異例のことですが、

    唐の高官である阿倍仲麻呂の力添えがあってのこと。旅費・滞在費など

    すべて先方負担です。漢詩文の手本『芸文類聚』、男女交際の参考書

    『遊仙窟』の名が挙がっています。寺僧との会見、進んだ医学、怪しげな

    回春剤、長安を目前にした足止めなどエピソードに事欠きません。

    また、鑑真和上の招聘に尽力した栄叡や、墓誌の発見で知られるように

    なった留学生・井真成も登場します。

    皇帝の謁見もうけ、招請する専門家の人選をして愈々帰国の途へ。

    この時に朗誦されるのが憶良の帰国時の歌、巻1―63です。

第三部 蘇州から蘇州へ

    帰国船の変更。第1船:多治比真人広成、真備、玄昉など

    第2船:中臣名代、大仏開眼の導師を務めた菩提僊那、ペルシャ人など

    第3船:平群広成ほか 第4船:その他の遣唐使

    第3船は暴風雨のため、柁を失い林邑/崑崙国(ヴェトナム)に漂着

    23節で船の修理を待ちながら、現地の子どもに教えるのが

    巻16―3827の双六歌です。幽閉されるも蘇州に帰り着く平群広成。

第四部 御蓋山の霧

    長安に着き、第2船に乗った人々と再会。海商の船から遣唐使船の積み

    荷が発見され、第3船は海商(海賊)に襲われたことが判明する。

    密林に消えた仲間を探したい広成だったが、仲麻呂の斡旋で帰国する

    ことになり、名香の香木を二本購入。一本を渤海王に献じて帰朝します。

全四部、38節に分かれていて、短く畳み込むように物語が進みますが、380頁を超える長編が気になりませんでした。古代史に関心のある方にお薦めです。

各節に付いた短文*が内容の紹介と要約になっていて読みやすく役立ちました。

    *例:37節 

    【天皇、広成を召して全浅香を贖ひ、渤熊、新虎、日鼠の譬へを解す】

     全浅香は天皇が買い取り、後に正倉院に納められた名香木の名。

     名香木では蘭奢待が有名ですが、もうひとつの名香木です。

     渤熊・・・の譬は、当時勢いを増していた藤原仲麻呂が唱える日本・

     渤海連合論に対し、北の熊と北の虎が争ってどちらが勝っても東の

     ドブネズミは食われてしまうという譬を出して、争う渤海と新羅の

     どちらに味方しても日本の得にならないと諭す場面です。

 

引用された『万葉集』の歌をお知りになりたい方は、巻数と歌番号を参考になさって検索してみてください。本文中では番号なしで歌だけが引用されています。