「エドガルド・モルターラ」 2023年 イタリア・フランス・ドイツ合作
原題はかどわかされたという意味の「RAPITO」、1858年に実際に起きた事件とその後を描いた作品です。
事件が起きたのはヨーロッパ最古の大学のあるボローニャ、grassa dotta e rossa 太った学者の赤い(美食・学問・外壁の色&左翼)町と呼ばれる進歩的気風の町です。
ボローニャのユダヤ人街に家族と暮らすエドガルド少年は、7歳目前のある日、突然教皇庁から差し向けられた兵士によって拉致されます。理由は、キリスト教徒の子どもを異教徒のもとで育てることが禁止されているためでした。しかし、ユダヤ人家族の中でなぜエドガルドだけがキリスト教徒と特定されることになったのか?
この疑問を解くには時代背景を知ることが重要です。
時代はイタリア統一運動のさなか教皇庁支配が揺らいでいたころでした。
時の法王ピオ9世は教皇領保持のために事件の前年1857年にボローニャを訪問しています。事件後の1859年には法王の危惧が的中し、ボローニャはサルディーニャ王国への併合に賛成し、イタリア統一運動に加わって教皇領ではなくなります。
エドガルドの洗礼・誘拐とその後の硬直した法王の対応には、教皇庁の権威の危機がありました。こうした事情を知っても、裁判で争われた洗礼について不思議に思ったのは、聖職者の同席もなくキリスト教徒であるにしても、使用人が施した洗礼がなぜ有効になるのか?ということでした。裁判はボローニャがイタリア統一運動に加わり、新法が施行されてからです。両親の奔走やユダヤ人社会の協力によって大きく取り上げられた誘拐事件は、西欧世界から不法と断じられ、世界中のユダヤ人を巻き込んで、教皇庁を揺るがすことになりますが、元使用人の証言が決め手となって、洗礼の事実をひっくり返すことはできませんでした。
この事件はひとりエドガルドの問題ではなく、同時期にほかにも誘拐された異教徒の少年たちがいたということ、キリスト教徒と認定した少年を人質にして《面会を餌に》家族全体をクリスチャンにしようとする目論見もさりげなく示されていて、追い詰められた教皇庁の危機感の深さがあぶりだされている、と見ることもできます。
エドガルドは司祭としてベルギーでその生涯を閉じます。彼自身の信仰上の葛藤は想像するだけです。
保守的で強硬なピオ9世は1878年に亡くなり、映画でも描かれていますが、反法王の騒乱が起きて棺がティベレ川に投げ込まれそうになりました。
私の最も印象に残った場面は、(「ヴェニスの商人」シャイロックの屈辱を彷彿とさせる)ユダヤ人共同体代表者が法王と接見するシーンです。
エドガルドやピオ9世についてはWikipediaで検索できます。
スピルバーグが映画化を試みたそうですが、当事者のイタリアだからこそ描けた映像やストーリィを見ると、ユダヤ系というだけでこのようなアプローチができたかどうか疑問です。音楽が物語の不穏な空気にぴったりでとても良かった。お勧めです。
このところ、YouTubeのアップができない状態が続いています。
予告編をお見せできないのが残念です。
監督のメッセージと予告編
エドガルド少年を演じたエネア・サラ