万葉集は巻18に入りました。

巻17~19は、大伴家持が越中に国守として赴任した天平18年(746)から5年間の歌が集中的に集められています。赴任時は29歳前後と推定されており、越中は大国なので、その国守の位は従五位上になります。因みに年収は1500万円前後、従五位の官人は60人ほどしかいませんからエリート官僚と云えるでしょう。

今回の地震の被災地、石川県と富山県は家持が治めた越中の国にあたります。

彼が収税のために巡回し、歌に詠んだ地域が軒並み被害を被りました(巻17)。

 富山県砺波の雄神河畔、婦負(ねい)の神通川沿い、立山に近い延槻(はいつき) 

 川のあと、4025の羽咋にはじまる能登半島巡りをしています。

 之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈芸思多理 船梶母我毛₋4025

 しおじから ただこえくれば はくいの海 あさなぎしたり ふねかじもがも

 4026~27香島の津から熊来、4028尓芸之(仁岸)川、4029珠洲の長浜 

 

時間が経つほどに想像以上の被害状況が明らかになってきました。

救援活動もままならず、被災者の疲労もいかばかりかと心が痛みます。

救援に向かうために事故に遭われた海保機の乗員や、地震の犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。

 

私は万葉集にかかわる天変地異や古地形&地質などを記録しているので、あらためて資料を見ました。

能登半島に関しては、卑弥呼の時代(AD210年)に石川県白山市に残された液状化の痕跡から、M6を超える地震があったと推定されています(by海洋研究機構)。

史書が編まれるようになってからは、圧倒的に都を含む畿内の記録が多く、都から遠い地方についての古記録はあまりありません。

家持が越中に向かう前年の745年6月には、養老・桑名・四日市を走る養老断層が動いて天平の大地震(M7.9と推定)が起きました。この時は美濃の国衙(国司の役所)が倒壊したと記録されています。

家持が帰京したあと、762年には糸魚川・静岡構造線(フォッサ・マグナ)が動いたとみられる美濃・飛騨・信濃にまたがる推定M7以上の地震が起きています。

 

能登半島に限っても、最近では2007年、2023年にも地震がありました。

日本列島を覆う断層の地図(国土地理院)を見ると安閑としてはいられない、と気を引き締めました。

 

上空から見る、中央構造線とフォッサマグナ 

日本列島が山で出来ていることがとてもよくわかる