つくづく考えさせられたのが

本『正欲』 朝井リョウ 新潮文庫 2023年 第3刷

 

2021年に刊行された単行本を文庫化したものです。文庫になって3週間ほどで既に3刷を重ねいかに注目を集めているかがわかります。

著者は1989年生まれ、作中(323頁)でも触れられているZ世代のひとつ前、ゆとり教育の世代に属します。大学在学中に『桐島、部活やめるってよ』でデビュー、たしか(男性では)最年少(23歳)の直木賞作家(受賞作は『何者』)としても話題をさらいました。

新聞連載小説を並行して執筆するなど*大活躍です。

 *ブロック紙=西日本新聞・中日新聞・東京新聞・北海道新聞の『生殖記』

  と、日本経済新聞の『イン・ザ・メガチャーチ』の連載が重なったことがある。

私がこの本を知ったのは

『文学は予言する』 第一章ディストピア 5成功物語の限界 東アジアのメリトクラシーの項です。

 *メリトクラシーは能力成果主義と訳され、メリットとデザート(功績とその

  価値)=成果と応報(ご褒美)という図式から、富は才能と努力のしるしで

  あり、貧困は怠惰のしるしという見方を生んでいると、

  『実力も運のうち、能力主義は正義か?』というマイケル・ザンデルリング

  の書を引いています。

この項で鴻巣さんは「分断と対立の深まる現代社会で、メリトクラシーとその「成功物語」はいつまで効力を発揮しうるのか?」と問い、『ミカンの味』(チョ・ナムジュ)と『正欲』を挙げていました。『正欲』は「・・・・多様性を謳う世論の欺瞞をえぐり出している・・・・」という紹介(解説)をみて、読んでみたくなったわけです。

“まとも”とか“通常”とはどういうことを指すのか、まともの側にいる(ふくまれる)ことで必然的に引き起こす軋轢について、それでいいのか?と問いかけているのが本書だと思います。

  

  たったいま、某大手進学塾講師による女子児童の盗撮のニュースが

  流れました。本書の犯罪とは性質が違うものの(ひょっとしたら根っこは

  同じ?)、『正欲』を想起してしまう私。

 

ある容疑者の手記(供述書?)で始まり、令和という年号がはじまった2019年5月1日をキィワードに、それより以前を〈・・・まで××日〉、それ以降を〈・・・から××日〉として、主人公たちを順に配して語らせる構成が巧い。そして2019年5月1日を挟んで何が変わり、なにが変わらなかったのか、ことばで括って(定義して)それで分かったつもりになっていないかどうか、正しい道とはどういうものか、正しさでだれかを追いつめていないか・・・・など、(読んでいる最中も感じていましたが)読み終わると安住していた価値観が揺さぶられ、確かに帯に書かれているように「読む前の自分には戻れな」ず、ざらつく感情に居心地の悪さを感じます。

お勧めです。