リブログ中ではさらっと触れましたが、張芸謀(チャン・イーモウ)、陳凱歌(チェン・カイコウ)それに鞏俐(コン・リー)や原作者の厳歌苓(ヤン・ゲリン:中国語の語順)にも文化大革命は大きな影響を及ぼしています。

張芸謀も陳凱歌も下放*を経験しています。

  *下放の本来の目的は青少年を地方に送り、特に肉体労働を通して

   農民の生活に触れ、指導層の意識改革をすることにあった。

   しかし、じきに問題ありとみられた党や政府機関幹部、大学教授などの

   知識人の排除に変質し、密告が奨励されて、彼らへの懲罰や政治的

   迫害が目的になる。

下放を経験した監督二人は知識階級出身です。

陳(チェン)監督は父も著名な監督で両親ともに進歩的知識人でした。しかも自分の名を、白い鳩を意味する“皚鴿”からおなじ音を持つ“凱歌(勝利の歌)”に変えるほど熱心な紅衛兵でした。そして父親を反革命分子と糾弾するような文革の急先鋒に立っていたのです。その彼が下放された事情はわかりません。

原作者のヤンさんはやはり知識階級の出で、母は女優でした。中国にいたころは赤色バレエ文芸兵で、やはり熱心に文革活動をしていたそうです。『妻への家路』に描かれた丹丹の行動はご自身の体験から生まれたのではないかと思われます。この小説の父親と同名の陸焉識を主人公とする『陸犯焉識』も著していて、中国での体験の重さがうかがわれます。

また、女優の鞏(コン)さんも両親ともに大学教授で下放されています。

肉親をさえ密告・糾弾せずにおかなかった文革は、裏切りと不信によって家族という絆を解体し、それぞれに大きな傷を負わせました。

因みに、息子は中国語研修のために3ヵ月間江蘇省の蘇州大学に滞在したことがありますが、我が家に届かなかった手紙があります。

日本へ出す手紙やはがきには通し番号をふり、およその内容もメモしていたので、届かなかったものがあるという事実から、はがきは勿論、封書もすべて開封して検閲されていたことがわかりました。

本人曰く“やっぱり!〇番には文革を書いたし、〇番には’76年と’89年の天安門のことを書いたからなぁ”・・・これ等の手紙は、中国当局が本当に検閲をしているかどうか試すために書いてみたのだそうです。いやはや、無鉄砲はしぶとく遺伝しているらしい。