帯状疱疹ワクチンがあるという朗報で、少し気分が良くなりました。
お医者様の許可が出たら、さっそく1回目をお願いすることにしました(半年以内に2回目の摂取するのが肝要だそうです)。
そんなこんなでスイスイ読んでしまったのは
『喜べ、幸いなる魂よ』 佐藤亜紀 角川書店 2022年 初版
ブリューゲルへのオマージュのような綿引明浩さんの装画は、舞台となったフランドルの小さな町シント・ヨリスでしょうか。ブリューゲルの風景を借りて、ヒエロニムス・ボスのような人物(あそこまで奇妙ではありませんが)が配されています。この表紙がなかなか魅力的です(装丁は國枝達也さん)。
小説のタイトルは勿論モーツアルトのモテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」から採られたのでしょう。モテットは1773年に作曲されました。
大まかですが、18世紀フランドル地方の地図があって助かります。
小説の舞台は、マリア・テレジアからヨーゼフ二世の時代(1748~’94年)です。
第1章 ファン・デール家の大まかな紹介。
双子ヤネケとテオが9歳だった時に、10歳のヤンが引き取られてきます。姉弟には家庭教師がついていて、高度な教育を受けています。
特に姉ヤネケは数学の才能に恵まれていて、ヤンがやって来た時にはすでに『自然哲学の数学的諸原理』(ニュートンの『プリンキピア』全3巻、出版は1687年)を読み解くのに夢中でした。会話にはライプニッツ(1646~1716)の微分法なんて話が出てきます。自然観察にも熱心で父親が土産に買ってきた『一般的及び個別の自然誌』(ビュフォンー1707~1788ー『博物誌』または『自然誌』全44巻。1749年から刊行され1804年までかかっているので、この時は刊行されて間もなくのころ)を喜ぶような少女でした。
ファン・デール家は亜麻糸を商っています。姉弟にはベギン会に入っている大叔母コルネリア(ファン・デール夫人の叔母)がいます。
第2章 ヤネケの出産 ベギン会
ファン・デール夫人の兄は医者のマティリス博士。
ヤネケはいっこうに自分の研究を辞める気はなく、息子を生んでからは大叔母コルネリアの所属するベギン会で暮らし、研究の傍ら少女たちを教えたりもします。
弟テオは父の商売仲間クヌーデ家の娘と結婚。
第3章 ファン・デール家のその後
テオの事故死。ヤンはテオの未亡人と結婚し、ヤネケの息子レオを引き取ります。
1764年に起きた日食のヨーロッパ各地の予測時間の計算をした
二コル=レーヌ・ルポート(1723~1788)は実在の女性天文学者ですが、
小説ではヤネケの教え子ニコルとして登場しています。
第4章 ヤン市長になる
テオの名によるヤネケの研究の出版は『確率論』までとなります。以後、ヤネケはヤンの名で出版を続け、ヤンは本人の困惑をよそに、学者として徐々に知られるようになり、市民の尊敬を集めます。
この年流感*で亡くなる人多数で、ヤンの妻も犠牲になりました。
クヌーデ家の婿として、ヤンは市参事会の推薦を受けて市長になります。
息子レオはファン・デールのパリ支店に送り出されます。
*インフルエンザの大流行は1781~’82年という記録がありますが
この章はアダム・スミスの『国富論』(1776年)にも言及されていて、
レオの年齢を考えると1778年か’79年頃のようです。
第5章 フランス共和国軍の占領と支配
亜麻糸市場に乗り出したベギン会は、ヤネケ主導で亜麻糸に適した自動紡織機の改良に取り組みます。
行方が分からなくなっていたレオは狂信的な共和主義者になり、フランス共和国軍を率いてシント・ヨリスにあらわれます。
覚書
フランドルという地域
ベギン会
実験科学、確率論、偏差値という概念、進化論的考え、ハレー彗星出現の予測計算、ハーシェルの天王星発見などなどの科学上の進歩をヤネケの研究に重ねながら、著者は、市民階級が力を持ち、宗教的にも自由な雰囲気で、進取の気風に富んだフランドル地方の特性を上手に小説にしました。
ヤネケは、幼少時から学問が大好きな女性です。学びの場が限られていたにもかかわらず、父親の経済力を背景に好きな数学や自然科学に思う存分打ち込みます。
女性ゆえの制約にむやみに闘争的になるのではなく、テオやヤンの名を借りてどんどん学問の中心に切り込むヤネケの生き方に、むしろ学者間の競争からもジェンダーからも解き放された自由で闊達な精神の有り様を感じました。経済的に自立し、やりたいことを貫くのに、ベギン会という緩やかな組織はとても助けになっただろうと思います。