美術展感想「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」 | yukiの5次元日記

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こんにちは!ゆきです😊

先日国立西洋美術館で開催中の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」に行ってきました~!

控えめに言う必要はないのですが、もう本当にエネルギーに満ちた展示で、充実していましたニコニコ

こんなに面白かったと思う展示は初めてかも!


以下が感想です。


個人的には過去に見たいろいろな展示を思い返しながら、今回展示されている絵や作品を見られたので、なかなか面白かったです。


以前は西洋絵画が好きでした。

宗教画として発展し、描く対象物が宗教画から肖像画、静物画、風景画へと変わっていくのを見るのは歴史を見ることだと思っていたので、なかなか楽しんで見ていたんです。それに主題と絵の相関性が分かりやすいからですかね。

対して現代アートは対象物が抽象的なものが多く分かりづらくて苦手でした。

ですが、わたしの感じ方や考え方が変わったこともあるのか、言うなれば墓標のような過去の有名な作品よりも、いまを生きている人たちの作る作品を見ることへ楽しさを感じるようになりました。

今回の西洋美術館の企画展はいまのアートに関わることに対する問題提起的なものです。この姿勢が個人的には面白くて、見たい!と思ったわけです。

画家の名前や派(バロック、印象派、ナビ派、キュビズム等)で展示をすることが多い昨今の美術展に嫌気がさしていたので、こういう企画があると知って、本当に嬉しかったです。




いまのアーティストたちは何を対象にして描くのかではなく、自分が何を描きたいか、そしてそれをどんな風に表現したいか、なぜそれをそういう風に表現するのか、という根源的なところを自分に問い続け表現しているのかもしれないと、今日美術館めぐりをして初めて腹の底から思いました。

抽象度の高さはアーティストの表現対象への自由度と比例しているのではないか、写真や映像があるなかであえて絵や彫刻で表現する意味を自分の中に見つけているのではないか…


それじゃ、わたしだったらどんな風に何を表現するのだろう、これについて考えてみたいと思いました。

芸大等の出身でなくても、自分自身をアーティストだと自負したり、表現する場を持つことができたり、表現するもので自分の必要な何かを得られたり(得意なことの提供)、もっとアートが身近なものでありながら生きていくことへの難儀がないものであるといいなと思いました。

それも自分次第なのかもしれませんがてへぺろ


それから、当事者でなければ見えないことがあることを感じる展示もありました。

美術館の展示作品の展示される高さが子どもや車椅子の人をあまり考慮していないこと、視覚に不自由さを持つ人や子どもたちも楽しめる展示の仕方があまりないこと(触れる作品がないこと)、美術館に敷居の高さを感じる人が来ていることを想定していないこと。

きっと挙げたらキリがないのかもしれません。斯く言うわたしも美術館に行く前は敷居の高さを感じて尻込みしていましたが、何度か行くとそういう気持ちが薄れていくんです。

そういう「慣れ」の感覚がもしかしたらいろんな人たちを意図せずに遠ざけてしまっているのだとしたら…もったいないなと思います。

芸術は生活のなかから取り出した自己表現だと思っているので、本当はもっと開かれたものであってほしいなとおこがましいかもしれませんが思いました。

ちなみに西洋美術館の常設展の一部は子ども目線に展示されてましたよ❗




西洋美術館の今回の企画展は、わたしにとっては自分事として考えられる展示で、とても興味深いものでした。

これを機に、現代アートと呼ばれるものや提起する展示を見てみたいと思います!

おすすめがあったら教えてもらえると嬉しいですニコニコ


今回はここまで!

読んでいただきありがとうございましたおねがい