吉田秀和著「一枚のレコード」


パスピエが買ったのは昭和55年の第4版ですが初版は昭和53年になっています
内容の殆どは1967年から1967年の「芸術新潮」に掲載されたものから選ばれたものですが、他にはLPのライナーノートから二つ、そして書き下ろしが一つあります。
その唯一の書き下ろしが「音楽とアルファとオメガ」で,これが一番読み応えがありました。
ここではモーツァルトの「魔笛」の三種のレコード、ベーム盤、ショルティ盤、ズイトナー盤、この三つの聴き比べなのですが、結局は「魔笛」という音楽の素晴らしさが本題になっているようで、そこが一番印象に残っています。

その三つのLPの聴き比べなのですが
普通、聴き比べというとプライのパパゲーノがどうだとか、ゲスティの夜の女王はどうだとか、そんな風になるのですが、吉田さんは各レコードの台詞のドイツ語の発音からはじめて、ショルティのは滅茶苦茶とか、通常とは違った切り口からの評となっていて、当時はお気に入りだったショルティ盤に対しては辛口の評でがっかりしたのを覚えています
パスピエはそんなに「魔笛」のLP等の評論を読んだわけではありませんが、台詞のドイツ語の発音を評論していったのは。。。これだけかも??
 

そんなこんなで久しぶりにこの三つの魔笛を、時々この本に目を通しながら、途中退屈なところはとばして、簡単な聴き比べをしていました。
(LPはファイル化したもので聴きました。ショルティ盤ばCDもあるのですがLPをファイル化したもののほうが音質が良好なので)
こんな時PCオーディオは実に便利ですね\(^o^)/



聴いてみて、実はこれまで録音も含めて印象が薄かったベーム盤が意外に良かった、ということでした。面白さではショルティ盤、まとまりの良さではベーム盤。ズイトナー盤(この本ではこう表記しています)は吉田さんも指摘していますがパパゲーノが弱い、というか適役でないような感じでしたがオーケストラはこれが一番良いかなと思えました。

さて最初のほうに、魔笛の素晴らしさに言及していると書きましたが、その一部を、本当は全部書きたいのですが、面倒なので後半だけを。(__)


この音楽は、私にはほとんど涙なしにきき終えられないものだが、さてその涙は悲しみから生まれたのか、それとも喜びからのものなのかときかれても、わかったためしがない。
こういう芸術が、こういう世界があるのを知るのが、私にとって、うれしいからか、それがあるからこそ悲しいのか、とにかく、「魔笛」の浄らかな響き、金色に映える歌の数々の美しさというものは、数あるモーツァルトの傑作の中でも、また、無類のものである。
しかも一方からいえば、こういうすべてが、ドビュッシーではないけれど、ドレミファソラシドだけで書かれていることは奇蹟でしかないようなものだが、別の見方からいえば、ドレミファソラシドだけで書かれていればこそ、この音楽は、こんなに透明で、しかも哀切極まりない音を立てるのである。
ヴァイオリンの上の一つの音。ソプラノのひとくさり。フリュートのひとふし。それこそ音楽のアルファでありオメガであり、同時に人生の哀歓の極みである。
音楽とは、もともとが種も仕掛けもないドレミファに、魂を吹き込む仕事にほかならいのだということを、「魔笛」ほど純粋な形で、私たちに伝えているものはない。