今月23日3:18amに亡くなられた、シンガポール建国の父李光耀氏。
私も、26日に最後のお別れをしに、国会議事堂へ行って参りました。この日からは、パダンが、列ぶポイントだったのですが、綺麗に列べるように、バリケードが敷かれており、また、前日にはなかった体の不自由な方、6歳以下のお子さんとその親、シニアの方のための優先レーンもできており、10:40amごろにパダンで列び始めたのですが、2時間でご遺体の安置されている国会議事堂内に到着することが出来ました。
この後から、またどんどん待ち時間が長くなっていったので、ラッキーでした。
この後から、またどんどん待ち時間が長くなっていったので、ラッキーでした。
ラッフルズシティショッピングセンターの前で、パダンへ誘導してくださるスタッフがいました。

列んででいらした方は、喪を表す、黒や、黒のパンツに白のトップなどが多く、シンガポール人だけではなく、私のような外国人の方も列んでいました。

列んでいる間も、いくつかお水の配給ポイントがあったり、簡易トイレがあったり、傘の貸し出しがあったり、ボランティアの方が、飴を配ってくださったり、並んでいる方々にとても配慮されている印象でした。


列んでいるいる間、私なりに今までの李光耀氏の偉業を思い出していました。個人的には、彼のしてきた政策などに全て賛成ではなかったけれども、マレーシアにキックアウトされ、独立を余儀なくされ、涙の独立宣言をするわけですが、彼は、資源もなく、貧しかったシンガポールを短期間の間に、彼の徹底した現実主義と強いリーダーシップによって、世界でも有数の国のひとつに仲間入りをさせたこと。治安の良さも世界でトップ3内に入り、今年でやっと建国50年の国だっていうのに、現在ビザなしで入国できる国の数でシンガポールのパスポートはスイスと同率の世界5位。
彼は、その当時のマレーシアの首相、Tunku Abdul Rahman氏が推していた ブミプトラ政策(マレー人優遇策)を批判し続け、マレー系と中華系の間で民族紛争が起きたり、結局いろんな政策の違いで一緒にやっていけない、すべての関係を断ち切ると、マレーシアにキックアウトされたのだけれど、それから数十年後、マハティール元首相は、プミプトラ政策によるマレー人の怠惰を嘆き、「感じるのは失望ばかりだ」と涙し、プミプトラ政策が首相を辞めることを決意した理由になったことを大学時代のアサイメントでエッセイを書くときに読んだマハティール氏の本に書いてあったことを思い出しました。今となっては、キックアウトは、マレーシアにとっての損失だったとさえ言われ、沢山のマレーシア人がシンガポールに働きに来ています。
一党独裁や、公共の場で彼を批判すると、批判した人(故JB Jeyaretnam 氏など)を訴えて、破産させてみたり、国外追放してしまったり(Francis Seow氏など)シンガポールの主要企業のトップがリーファミリーの一族だったりして、この国は国ではなくリー会社だと言われることもあるところは、私でさえも、変えていって欲しいところだけど、どの国にも問題はあるわけで、ここまで発展できたのは、彼なしには成しえなかったことだと思います。
なので、列びながら、彼のことを考えていると、涙が出てきました。政治家の死に涙をすることは、生まれて初めての経験でした。私のように列びながら涙している方もいたので、みんなそれぞれに、彼に対して哀悼の気持ちがあるのだなと思いました。

列んでいる途中、シンガポールの副首相のTharman Shanmugaratnam氏が、暑い中列んでいる私たちを労いに来てくださいました。

国会議事堂に近づくと、メッセージカードとペンコーナーがあり、私もメッセージを書かせていただきました。
私自身が、すごい李光耀ファンだっていうわけでもないのに、不思議です。
シンガポールの発展のために尽力してくださった李光耀氏に、心からの感謝の気持ちと哀悼の意を伝え、国会議事堂を後にしました。

一部の国民の中には、彼の死を喜び、キリスト教や親までも批判したビデオをYouTubeにアップしてみたり、最近知り合ったばかりのある日本人の方の生徒さんが、その方に亡くなってから李光耀氏に対しての不満や怒りをぶつけてみたり、パダンで列んでいる働いている人は、会社が半日休ませてくれるからだとか、くだらない噂を訴えた話をたまたま、国葬の前日の夜、友人同士のディナーの後にシェアされたのですが、意見の違いや怒りがあってもこんな時にそんな話をする生徒がいるのよ、不謹慎よねと締めくくるのかと思いきや、それからもああらしい、こうらしいと生徒さんから聞いてきたゴシップ話が続き、とても残念でなりませんでした。その方に少しでも彼に対するリスペクトがあり、こういう話を今することは不謹慎であるという価値観があれば、だいたいそんな話があったことをシェアしようとも思わないので、その方の李光耀氏に対する気持ちの表れでもあるのかなとも思います。
Facebookに、Edwin Khoo氏がこう投稿しています。
生徒のくだらない噂のように、もし、一部の国民は、そうであったとしても、就業時間後でも、最長10時間も、暑い中、時には雨の中、沢山の国民や外国人の方が李光耀氏にお別れをしにきていたのは紛れもない事実であり、みんな、それぞれに政府に対しで思うことはあっても、シンガポールという国をここまで導いてくださった建国の父、李光耀氏にみなさんお礼を言いたいんだなと自分も列んでみて、そう深く感じました。
感謝のできない文句ばっかり、くだらないことばかり言っている残念な生徒がいる反面、李光耀氏に感謝の気持ちを捧げる歌をアップしている若者たちもいました。
シンガポール人のお友達が、Facebook にアップしていたいくつかの投稿がとっても心に響いたので、ここでシェアします。






国葬の模様は、こちらをご覧ください。
State Funeral Of The Late Mr Lee Kuan Yew
おまけ
国葬の間は、大雨でしたが、後にこんな大きな虹が出ていたそう。

By Singapore Laugh

Facebookに、Edwin Khoo氏がこう投稿しています。
I know we all have our differences, and I have mine with Mr Lee too. But there is a time for everything. For those who are scrutinizing his mistakes and misjudgments, you have a lifetime to do it. Now is the time to mourn for a fellow Singapore son, who gave his last ounce of living strength to this nation.
生徒のくだらない噂のように、もし、一部の国民は、そうであったとしても、就業時間後でも、最長10時間も、暑い中、時には雨の中、沢山の国民や外国人の方が李光耀氏にお別れをしにきていたのは紛れもない事実であり、みんな、それぞれに政府に対しで思うことはあっても、シンガポールという国をここまで導いてくださった建国の父、李光耀氏にみなさんお礼を言いたいんだなと自分も列んでみて、そう深く感じました。
感謝のできない文句ばっかり、くだらないことばかり言っている残念な生徒がいる反面、李光耀氏に感謝の気持ちを捧げる歌をアップしている若者たちもいました。
シンガポール人のお友達が、Facebook にアップしていたいくつかの投稿がとっても心に響いたので、ここでシェアします。





建国50周年記念のお祝いを前に亡くなってしまい、ご一緒にお祝いできないのは残念だけれど、愛妻家でもあった李光耀氏、今頃、奥様と天国で再会されているかな。
どうぞ、安らかにお眠りください。。
どうぞ、安らかにお眠りください。。

国葬の模様は、こちらをご覧ください。
State Funeral Of The Late Mr Lee Kuan Yew
おまけ
国葬の間は、大雨でしたが、後にこんな大きな虹が出ていたそう。

By Singapore Laugh
