私自身、多分に毒を含んだ母だと思う。

手を出したりした事は無いけれど、息子の成績に一喜一憂し、中学受験の時には何度も親子喧嘩をした。


「自分が通って良かった中高一貫校という環境を、息子にも与えたい、と思っているけれど、それは本当に息子の為なのかな。

こんなに小学生を勉強漬けにして、受験をさせる事は本当に正しいのか。

勉強が出来ても、高い学歴を得られても、それが幸せに直結する訳ではないのに。

私は、自分の価値観を子供に押し付け過ぎているのではないか」


中学受験の時も、そして今も。

子育てに自信なぞ全く持てない私は、いつも悩みながら手探りで進んでいる。


結局、母である私の価値観はどうしたって変えられない。

そして、正しい子育てなんて誰にも分からない。

だからこそ、自分が子供の為に正しいと思う道をその度に選択して、そしていっぱいいっぱい愛して精一杯育てていくしかない。

その結果、道を踏み外さずに生きてくれればそれで良い、そう信じるしかないけれど。

したり顔で他人の子育てを批判出来る人を見ると、何故そんなに自信があるのだろう、と不思議に思う

子供自身の性質や環境によって、同じ様に育てる事が正解とは思えないのに



息子の中間試験の結果に一喜一憂し、落ち込む私は間違いなく愚かな母親だろう。

そして点数が悪くて泣いた癖に、友達と遊びに行く息子に「あんなに出来なかったのに、遊びに行くんだ」と嫌味を言ってしまった私は「毒母」なのかも知れない。


きっと母の顔色を伺って、前日まで「遊びに行く」と言い出せなかったのにね。

一人でひっそり反省して「足りないと困るでしょ。持って行きなさい」とお小遣いを渡した時、ぱっと輝いた君の顔を見て、母の胸はチクリと痛んだ。

「ああ、余計な一言を言ってしまったな」と。



きっとこれからも、私は君にとって重い母親で、君の成績で一喜一憂する愚母であり続けると思う。



でも、お願い。

「愚かな母親」だと思われても良い。

だけど「毒母」とだけは言わないで。



実家は遠くてあまり頼れず、マダオは自分時間を何よりも大切にしていて、自室のドアを固く閉ざしたまま出て来ない。

頼りない母ではあるけれど、これでも必死に、何が正しいのか分からぬまま、ただただ君の事が大切で、狂おしい程愛おしくて、君に向き合って来た。


これからも私は、勝手に君に期待して、勝手にがっかりして君は迷惑に思うかも知れない。

でも、これだけは約束しよう。


例え君が、母の勝手な期待に応えられなくても、君への愛は一切変わらない。

だから安心して、程々に母の勝手な期待を裏切りながら、君らしく育って欲しい。


君のいない休日の午後。

一人、カフェでパンケーキを食べながら、愚かな母はそう思うのです。


そしてマスメディアや著名人は、どうか気軽に浅瀬でバチャバチャしながら「毒親」「毒母」という言葉で、世の母を追い詰めないで欲しい。



必死に迷いながら子を育てる親に「毒」という言葉は、強烈な猛毒だ。



愚かで完璧から程遠い母は、その言葉を耳にする度に「私の母は毒母だったのか」「私は毒母なのか」と胸の奥がザワザワと波立つのです。