ほとんどお役立ち情報など無く、駄文を綴っただけの当ブログ。
なのに、ぼちぼち後輩さん達から届くアメンバー申請。
何故だ、何故なんだ。
残念ながら、アメンバーになって頂いたところで得るものは何も無いぞ。
世の中、奇特な有り難い方々もいらっしゃるものだ、と思いつつ、ならば少しでもお役に立てる事を綴るべきなのでは、と謎の使命感に燃える私。
あれだけ恋い焦がれた熱望校にはあっさり振られ、未熟で伴走力弱めな母と低い精神年齢と自走力を併せ持つ幼男子。
こんなへっぽこ母子に、こうしたら受験は上手くいきます、母はこうあるべき、といった指南は、誰も求めていないだろう。
そんなものは私が知りたい位です。
受験が終わって3か月。入学して1ヶ月。
熱望校にはご縁がなかった、母子のリアルな心情を綴ってみます。
つい先日、もしももしものパラレルワールドの話を幼男子としてみました。
「もし今、熱望校から来ても良いよ、と言われたらどうする?」
「それは、今からでも絶対に熱望校に行くよ」
やはり、そうか。
「じゃあ、あと一年頑張ったら熱望校に合格出来る、という条件ならどうする?」
「例え熱望校でも、絶対に嫌だ。
進学先にも充分満足しているし、もう塾漬け生活は絶対に嫌だ」
親とは、本当に勝手なもの。
合格出来るなら、あと一年間頑張る、という満点回答で無かった事に一抹の寂しさを覚えつつも、私もそうだな、もう嫌だな、と思い直す。
「まあ、そりゃそうだね。
ママも、あと一年伴走なんて無理だわ。
じゃあ第二志望校に、今からでもおいで、と言われたらどうする?」
寂しそうに、ソッポを向く幼男子。
「絶対に行かないよ。
進学先、充分楽しいもん。
あんな気持ちにさせられて、誰が行くもんか」
散々やった第二志望校の過去問。
例え国語でやらかしても、他の教科でカバーして、全ての回で合格者平均点を上回っていた。
最後の合不合で、とんでもない偏差値を叩き出し、打ちのめされたけれど、過去問がこんなに相性が良ければ大丈夫、絶対に合格出来る、そう信じて向かって行った2月1日。
1日、熱望校合格の可能性と第二志望校合格の可能性を天秤にかけ、早稲アカからも1日は確実に第二志望校に合格を貰おう、とアドバイスをされ、第二志望校の受験を決断。
結果、まさかの不合格。
大いに打ちのめされたものの、まだ2日がある、2日で合格を頂ければ良い、と再び第二志望校に挑んだ2月2日。
再びの不合格で、我々母子のメンタルは粉々に打ち砕かれた。
あの屈辱、悔しさ、悲しさはそんな簡単には癒されない。
物言わぬ灰色の画面に、なんで、どうして、何が悪かったのかせめて教えてよ、と虚しく訴え続けた2日の夜。
「よく頑張ったね。うちにおいで」
そう言ってくれた進学先の桜色の画面は、お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸の様に有り難く、実際楽しく通っている。
でも、でも。
今でも熱望校の制服を見ると「あっ、いいな」とチクッと胸は痛むし、第二志望校の制服を見れば、自然と頭を垂れ俯く母子。
なかなか受験が、自分事にならなかった息子。
上手く伴走出来ず、女優など程遠くオロオロ感情に振り回され続けた母。
確かに、私達はダメダメなへっぽこ母子。
でも、三年間必死に頑張ったのだ。
余裕なぞ全く無く、結構なりふり構わず色々なものを犠牲にして必死に頑張ったのだ。
合格が厳しかった熱望校の不合格よりも、合格出来る、と信じた第二志望校の不合格の傷は、深く深く、傷口から血は流れ続け、瘡蓋になった今でも、瘡蓋の下はジクジク傷は膿んだまま。
「落ちたけれど、仕方がなかったね」
穏やかに思える日は、まだまだ遠く、そして未練たらたらでいる位の資格は、私達にもあるはずだ。
実際、熱望校と第二志望校の最寄り駅に、私は未だ降りたてない。
「早稲アカは、うちの人生第一期。
小4から通ったけれど、しっかり記憶が有るのは早稲アカに行ってからだもん」
受験が終わった後の、息子の言葉。
幼い息子にとって、人生を賭して頑張った結果の不合格。
しっかり悔しがれば良いさ。
こんなに悔しくて傷が癒えない位には、私達は必死に頑張った。
傷が癒え、乾燥した瘡蓋が綺麗に剥がれ落ちるまで、私は何度だって悔しがってやる。
これが今の心情です。
因みに、息子も私も進学先に(遠い事を除けば)何も不満は無く、良い学校にご縁を頂けて本当に良かった、と思っております![]()
次は、進学先に対しての今の心情など諸々綴ってみます。