学力が上位の方には何の役にも立たないし、ボリュームゾーンの方でも、お役に立てない内容かも知れない。

でももし、今成績が上がらなくて、頑張っても頑張っても上手くいかなくて、中学受験をやめたいのにやめられない親子がいれば、少し位は励みになるかと思います。

平凡な頭脳を持つ幼男子と、メンタル未熟で女優になどなれなかった母の足掻きに足掻いた記録です。


中学受験をやめたいと思った回数、六年秋まで三日に一回。

幼男子が家出をした回数、三回。

その内、そのまま塾もサボった回数、二回。

親子で泣いた回数、無限大。


我が家は本当に、足掻きに足掻いた中学受験でした。

このブログを始めた新6年生の時、模試の結果がSBクラスに落ちて、塾の日にも関わらず幼男子は家出をし、夜まで帰って来ませんでした。


至って平凡な頭脳の持ち主の我が子は、努力に努力を重ね、小5の後期までは偏差値58から64を推移。


でも、歴史が始まってから滑り落ちる様に落ちていきました。

地理は比較的得意で、あまり苦労せずとも覚えられていたのに、歴史が本当に覚えられない。

日本史が得意だった母は、あの手この手で付き合いましたが、全然覚えられなくて、途方に暮れて母子で泣いたことも数知れず。

何とか形にするだけで丸一日掛かり、その分算数や理科の勉強時間が減ってしまったのが原因だと思いますショボーン


受験が終わった今でも、あれだけ出来なかった歴史を放置したとしても、どこかの段階でとんでもない事になっていたと思うので、やはり足掻きに足掻くしかなかったのではないか、と思います。


また、元々文章を読むのが遅く、読解が苦手な子でしたが、6年生になって長くなった模試の国語の文章に、全く対応出来なくなりました。


初めての合不合で国語偏差値42を取り、素人では対応出来ない、と悟った母はTOMASにお任せする事にしました。


55〜58位で堪えていた偏差値も、六年生後半になると52まで急落。

何でここまで落ちるの、どうして、どうしたら良いの。

なかなか現実を受け入れられず、本当に辛い日々でした。



早稲アカでは「授業の様子を見ていると、この偏差値の実力ではないと思うが、本番に無茶苦茶弱いタイプ。結果を出せないと、どうしようもない。本人のメンタルの問題なので、自覚、自走を促すしか無いけれど、しばらくかかるかも」と言われました。


結果が出ない事でモチベーションも下がり、今までは平気だった模試が、また悪かったらどうしよう、怖い、怖い、となってしまい、ケアレスミスを連発。


また、受験率の低い地域での受験、理解の無い担任、と環境にも恵まれず、大嫌いな運動会の練習が始まると、学校にも行けなくなりました。


もうやめてしまいたい、楽になりたい。

でもここまで頑張って来て、結果を出したい。

この状況で、公立中学には行けない。

何度親子で話し合っても結論は同じで、なかなか出ない結果に打ちのめされながらも、足掻いて足掻いて勉強を続けました。


早稲アカからもTOMASからも、その状況で学校に行く意味は無い、休ませた方が良い、と言われ、母も不登校を受け入れてからは、息子も少しずつ元気になりました。



二人で、社会の四科のまとめをやり直し、算数はずっと偏差値56から60ちょいで一番安定していたものの、応用力の無い息子は難問となると全然解けないので、上位校への算数は4周しました。

国語は、TOMASで見て貰っていたので、選択肢問題は正解するようになって来たものの、最後まで記述は書けませんでした。



最後の合不合偏差値51。

結局、最後まで上がらなかった成績。

打ちひしがれる私に、最後までTOMASの先生は「彼は実力は有る。合不合の国語の長い文章に対応出来ていないだけ。模試の偏差値は、気にしない。志望校の文章は、もっと短いから大丈夫。読解力は付いてきている」と言い続けました。


熱望校、偏差値61。第二志望校、偏差値56から57。第三志望校、57。第四志望校、二科偏差値58。模試の成績から考えたら、無謀としか言えない挑戦に御守り校、二科偏差値47を加えた受験プラン。

※受験校全て国語の文章は短め、記述は少なめです。



今思うと、埼玉の前受け校に合格を頂けるかどうかで、どちらの塾も、この受験プランで走り抜くかどうか、決めようと思っていたのだと思います。


過去問の出来は、第二志望校は六回やって全ての回で合格者平均点を上回る点数、第三志望校は二回しかやっておりませんが、合格最低点はクリア(合格者平均点は出ておらず)

二科受験の第四志望校は、国語次第の五分五分の結果。

熱望校は、沢山沢山やりましたが、合格最低点を数点超えたのはほんの数回。



過去問の状況、普段の学習を見ていて、私は偏差値60の壁を強く感じていました。

基礎、標準問題はよく解けるけれど、応用力の無い息子は、少しひねられると全然解けない。

これが偏差値60の壁か。

余程運が良くないと、熱望校は難しいだろうなあ。

地頭の限界が、偏差値50台後半だろうなあ、と




一番の問題だった本人のメンタル、幼さ、母任せな姿勢は、結局最後まで変わらず、自走は出来ませんでした。


どちらの塾からも合格出来る、といわれていた第二志望校に、まさかの不合格を二回も突き付けられ、オロオロ泣くばかりの母を見て、ようやく本人は初めて自分でどうするべきか、どうしたら合格出来るかを本気で考え、一日でメンタルを立て直したのだと思います。



「子供は、本番中でも成長する」

まさに我が子は、それでした。

そして、全力で挑んでも叶わなかったからこそ、ようやく自分に対して持てた自信と共に挑んでも駄目だったからこそ、熱望校に落ちても静かに結果を受け止めていました。



もし私がアドバイス出来る事が有るとしたら、ボリュームゾーンは余程面倒見の良い校舎でも無い限り、さっさと信頼出来る個別か家庭教師を探した方が良いです。


残念ながら、どれだけ鍛えても難関校には合格出来ない子を、人手不足の校舎は見てくれません。実際、TOMASには息子と同じ「なんちゃってss」の子と、SBクラスの子が沢山通っていたみたいです(TOMASに行く度に、早稲アカ生に会う状態だったらしい笑い泣き



息子の通った早稲アカの小規模校。

本当に数人しかNN校には合格していませんでした。そして、私達の熱望校も5人受験して合格は2人でした(あと、帰国の子はなかなかの難関校に合格していました)


現実は、厳しいです。

でも「なんちゃってss」とSBクラスの子達。

息子と同じ様に、足掻いて足掻いたのでしょう。その子達の持ち偏差値を考えたら、精一杯の学校に沢山合格していました🌸

校長も「今年は、最後まで本当に粘ってくれる子が多かった」と言っていました。

我が校舎、意外と正直で受験前に子供達に「今年は難関校は少ないだろうなあ」と言っていたらしいです笑い泣き


息子と同じ進学先の子も、なんちゃってss組でTOMAS組です。

2月2日。第二志望校に二回目の灰色の画面を突きつけられて、泣く私に急遽3日の午後にA校を受ける様にアドバイスをして下さったのも、TOMASの先生でした。

普段、個別で見ているからこそ、過去問をやった事が無い学校でも、国語が易しめで算数が少し捻られている(幼男子曰く、熱望校と似た捻り方だったらしい)A校ならいけるのではないか、と思ったのでしょう。



後日、TOMASの先生には

「幼男子は、見ていて偏差値よりもずっと力は有ると思っていたけれど、全然結果が付いてこないので、お母さんに大丈夫、この受験プランでいける、と言いながら心臓バクバクでした。ハハハ」と言われたので「やっぱりそうだったのですね。先生ったら、タヌキなんだから。ほほほ」と返しておきました。


頑張る親子にエールを。

「最後まで諦めずに、灰色の画面に打ちひしがれても、足掻いて足掻いて下さい。

そして、物言わぬ灰色の画面。

想像している100倍はダメージが大きいです。

2月3日。受験校に入れずに、泣いている親子を見ました。息子の隣の席の子は、試験の途中からずっと静かに泣いていたそうです。

痛い程、気持ちは分かる。でも、不安定な学力と共に、これまで必死に頑張って来たボリュームゾーン。力の差は紙一重。

最後まで、諦めないで。

灰色を艶やかなさくら色に変えてやろう」