「何がなんでも酷語を国語に昇華させる大作戦」(NN大作戦)を継続中の母子。
少し見えて来た事が有るので、その辺りを。
因みに、まだ始めて一週間のNN大作戦ですが、幼男子は既に面倒臭そうです
何でや。「母にとっての珠玉の時間」だと自分自身に言い聞かせている時間は、息子にとっては「鬼ババとの地獄の時間」なのか、そうなのか。
初日「耳なし芳一」を各々ノート1枚くらいにまとめ、次の日にお互い見せ合って添削。
三日目に「三枚のお札」に取り掛かったのですが、そこで疑問が。
一体何字に要約をすれば良いの、これ。
「先生から、何字くらいという指示が出ていないの」
「そう言えば、200字以内と言われていた」
先に言わんかい、それを。無茶苦茶大事な指示やん。8行位にまとめなあかんやん。
ノート1枚と全然分量違うやん。
大切な前提条件、指示を忘れる。これぞ、幼男子品質。
慌てて「三枚のお札」の要約をやり直し。
「耳なし芳一」は、面倒臭いのでそのまま。
すると、ノート一枚だと粗だらけとは言え、何とかまとまっていた要約も、短くすると見事にまとまらない
以下、恥を忍んで中学受験をする予定の小六の要約を載せます。
ある日、小僧さんがおしょうさんに栗拾いに行きたいと言いました。
すると、怖いおにばばが出ると噂だから、三枚のお札をくれました。
栗拾いをしていると、やさしそうなおばあさんに会い、家に行きました。
夜、おにばばになっているのを見て、逃げ出し、おしょうさんのところに着き、食ってもらいました。
それからは、裏山におにばばが出なくなりました。
一応、幼男子の為に最低限のフォローをしておくと、作文はここまで酷くありません。
しかし、文章の要約となった時に、何故ここまで無茶苦茶になってしまうのかを、考えてみました。
①文章を読んだ時に大事な要素が何か分からない。
200字以内にまとめなければいけないので、具体的にどうお札を使ったかを書く余裕はない→どこを省いて良いか分からず、どんなお札なのか、そのお札を何で使ったのか、は最低限必要な要素だが、全部省いてしまう。
②取り敢えずつなげよう、書かなければ、が先行し、説明すべき所が抜け落ちる。
どういうお札なのか、誰がお札を誰に渡したのか、の説明は絶対必要な要素だが、それが書けていない。
どうやって(おしょうさんは)(おにばばを)食ったのか。
③焦って取り敢えず書く、をやっているので、主語が無茶苦茶になってしまう。
夜、おにばばになっているのを見て、逃げ出し、おしょうさんのところに着き、食ってもらいました。
→誰がおにばばになっていたのか、誰が逃げ出したのか、そして誰に誰が食われたのかは、もう自分でも訳が分からなくなり、取り敢えずつなげて書いている。
④語彙力の低さ故、上手くつなげる言葉自体が出て来ない。
栗拾いをしていると、やさしそうなおばあさんに会い、家に行きました。
夜、おにばばになっているのを見て、逃げ出し、おしょうさんのところに着き、食ってもらいました。
→案の定、おにばばに遭遇した小僧さんは、三枚のお札の力を使って、命からがら何とか逃げ出します。寺まで小僧さんを追って来たおにばばを和尚さんは機転を利かせて騙し、小さくして餅につけて食べてしまいました。
幼男子も、下線部の言葉自体は知っていても、自分で使いこなせない。
単語としてしか「機転を利かす」等の言葉を覚えていない。
とにかく、前途多難酷語Y偏差値40。ここに極まれり。
そして、母が同じ文章を要約する事により、息子の要約を添削する時に、どこが問題なのか、母にも分かるというメリットが。
何というか、国語は一番問題に気付きにくい科目なのではないか、と思うのです
国語が苦手、読解力が無い、という事は気付いていても、文章と相性が良ければ、酷語男子でも、稀にY55位取れる事もある。
それに母も本人も安心してしまい、問題を先送りしがち。
また、他の科目は答えがビシッと決まっているから、問題にも気付きやすいと思うのです。
例えば、社会の暗記が出来ていないから、算数の場合の数が出来ていないから、点数が取れない、とか。
国語は、どうやって対策をしたら良いかも分からず、文章ごとに正解も違うから、勉強をしても結果が出にくく、他の教科で時間が足りない事も相まって、疎かにしてしまう。
糠に釘、暖簾に腕押し、の科目。
長くなったので、また今度続きを。