「低線量被曝の健康影響はよくわからない」ということの補足として、科学雑誌「Nature」4/5号の総説の邦訳が掲載されているのをみつけましたのでご紹介いたします:
http://www.natureasia.com/japan/nature/special/nature_news_040511.php
(1)健康習慣を増やし、不健康習慣を減らす事(被害を避けるというネガティブディフェンスではなく、よりよい健康状態を目指すポジティブディフェンス)
(2)質を吟味しつつ継続的に情報を入手し、放射線に関する知識を増やして行く事(上記のようにまだ分かっていないことも多々あるとおもいます)
(3)生活や仕事(学業)や社会機構や個人の価値観とのバランスの中で、避けうる被曝を避ける事(そのためにもICRP勧告を含め、偏らない知識が必要)
個人的にコメントを付け加えると、現時点の科学的判断では「200mSV/年の被曝で癌死が1%位増えるというのが現在までの被曝の疫学的データから有意差をもって検出できる限界で、それ以下の低線量では1%未満ではあろうが、具体的にどんな数字になるのかよくわからず、更に極低線量については有害作用ではなく有益なホルミシス効果も完全には否定できない」としかいえない。だからICRPは放射線防護対策上とりあえず低線量でも被曝量と正比例と仮定している(LNT仮説)が、LNT仮説自体も賛否両論で妥当かどうか現状では「わからない」ということです。
また、この「わからない」という意味は、癌発生のメカニズムを考えると、被曝量や形式(内部被曝/外部被曝/放射性物質の種類)による追加リスクの有無や大小は一様ではなく、一人一人の生物学的差異(年齢性別など)や生活習慣の差異などで大きく異なり、被曝量だけから各個人の発ガンリスクを推定することはできないという意味だと思います。
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以下は、例によって興味ある方のみご覧いただければと思います。
統計学的に有意な数値としては存在しない、いわば幻の癌化危険率を確定値のように見なし、さらに今回の福島原発事故と同様のパターンの前例がなく、有効性が確立した汚染シミュレーションモデルが存在しないのに、事故対応の推移と原発からの放射性物質漏出量、長期の風向きと降雨、飲食物汚染の推移、対象集団の人数・年齢構成、屋内/屋外滞在時間、飲食行動、家屋構造、内部/外部被曝比率、累積被曝量、放射線以外の発ガンリスク、などの夥しい推定値を幾重にも説明変数として組み入れて危険率を計算しみても、予想確度が増すのかそれとも却って誤差が拡大するのはかわからず(多分後者でしょう)、結局はその推定値がICRP勧告にあるもの以上に妥当である確率も、コインの裏/表とみたいなもの(まあこれも安易な当て推量ですが)。というかこれら様々な意見や仮説の国際的な妥協点としてICRP勧告が採用されているという事ではないでしょうか。
もしこのような真偽不明の推論を重ねた数字の正当性を排他的に過信し、楽観説/悲観説を繰り広げて人々の判断と行動に介入しようとする論説があるとすれば、それらは科学か占いか(疫学か易学か)といえば後者でしょうね。占いが悪というわけでも、ヒトが占いに従って行動を決めるのはダメだという訳でもありません。とくに今回の原発事故の健康被害についてはICRPも政治家も科学者も東電も最終解は知らないのですから、予測の確度については、疫学と易学で差がないのではないかと思われます。しかし、占いなのに客観的で理論的で論理的で(おまけに倫理的で)すと強弁するのはフェイクサイエンスだから、ダメですね。いっそ見栄を張らずに「ま、これは算数占いの一種です、でへへ」とカミングアウトすれば言う側も聞く側も肩の力を抜けるというものでしょう。
というわけでこのNatureの総説の内容は、泥縄的に私が調べて到達した結論(4/8付けの原発事故関連情報の配信内容)と相反するところはなく(だから得々として紹介したんだろうと言われれば、まあそのとおりですね)、私の提案してきた具体的対策は、最善唯一ではないでしょうが今のところまずまず妥当と考えます。
★つまり放射線被曝の健康被害を懸念する人にとって合目的な具体的行動は以下の3つ:
(1)健康習慣を増やし、不健康習慣を減らす事(被害を避けるというネガティブディフェンスではなく、よりよい健康状態を目指すポジティブディフェンス)
(2)質を吟味しつつ継続的に情報を入手し、放射線に関する知識を増やして行く事(上記のようにまだ分かっていないことも多々あるとおもいます)
(3)生活や仕事(学業)や社会機構や個人の価値観とのバランスの中で、避けうる被曝を避ける事(そのためにもICRP勧告を含め、偏らない知識が必要)
この中では、実効性という点では(1)がもっとも確実なので、健康被害を懸念するならば必須項目でしょう。(2)では情報の質の吟味が難しく、私も全然自信はありませんが、しかしトレーニングしないとこの手の技術も身に付かないので、トライ&エラーでやるしかないと思っています。あるいは(2)は面倒だから人(や政府)任せにし、そのかわり不本意な結果にも一切クレームは付けないというのも大変潔い尊敬すべき生き方だと私は思います:「悪法も法である(プラトンだったかソクラテスだったか?)」の精神ですね。(3)については、何をどうやろうとやるまいと個人の裁量の範疇であり(2)なしでもOKですが、(2)なしの判断や行動に他人を巻き込もうとすべきではないと私は考えます。
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