鳥取若桜、戸倉峠の山中にある平経盛隠棲の洞窟と藤原神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。













因播国境を戸倉トンネルで抜ける

国道29号は山中に人家は

ほとんどなく若桜方面から進んで

落折川沿いの長い洞門を抜けると、

平家落人伝説がある

鳥取県八頭郡若桜町落折の集落

今でこそ交通量が多いが、

かつて山にとざされ

隔絶されていた土地

全国各地には源平合戦で

敗れた平氏の落武者達が

源氏の追っ手から逃れ、

隠れ住んだという地が

多く存在します。

この落折集落は「平清盛」の弟

平経盛とその配下20余名が

逃れて平氏再興を狙っていた

という伝説が残されています。

現在も集落内には

隠れ住んでいたという洞窟や

馬隠しの谷、平経盛の墓と伝わる

宝きょう印塔が残されています。

経盛隠棲の洞窟は巨大な岩窟が

幾重にも重なり合い、

あちこちに残る洞穴が

抜け道のように見えるなど、

隠棲の地として雰囲気がある。

この貴重な文化遺産である洞窟は

地元落折集落の皆様の

ご尽力により保存されています。
















平経盛は武将として優秀でしたが、

父と同じく詩歌に通じ、

管弦の名手という別の一面も

持ち合わせていました。


いかにせむ 御垣が原に 

摘む芹の 音にのみ泣けど 

知る人のなき
『千載和歌集』巻第十一「恋歌一」


むかし、ある男が美しい御后に

お目にかかりたいと摘んだ芹を

献上したものの、

ついに思いは届かなかった。

土を洗い流した白い根の

瑞々しさが、かえって苦い恋を

思い起こさせる。

私も声を立てて泣くのだが、

誰も分かってくれないだろう。


古い説話に自らの叶わぬ恋心を重ね

ひとり涙する平経盛(清盛の弟)

「よみ人しらず」なのは、

朝敵となった平家の名を

憚ってのことだという。


壇ノ浦の戦いに敗れ、

弟の教盛とともに入水して果てた。

そう伝わっていますが

落折に隠れ住んだと言われる

平経盛は平の清盛の父である

平忠盛の子で清盛とは異母弟にあたり

美男子の平敦盛の父にあたる

壇ノ浦の戦いに敗れて、

入水したといわれていますが、

その後陸に上がり落折集落へ

落ち延びたとされていますが

洞窟には小さな祠があり

平経盛が移り棲んだということは

平家の氏神様がお祀りされていると

思うのが順当のように思える

つまりは厳島神社と推測します。

ということは御祭神は

宗像三女神

田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神

そうなるのでしょうか?


源氏の追手から逃れ

隠棲したこの地で再起を夢見た

想いは叶わぬとも

夢を諦めない希望の地は

いつしか平和を願う隠棲の地に

変わっていく姿を映し出している。


平経盛の墓




藤原神社

ふじわらじんじゃ

鳥取県八頭郡若桜町落折


祭神 平経盛

合祀相殿 天之御中主神。

源平壇ノ浦合戦から逃げ延び落折奥地の岩窟で隠棲した後、建久三(1192)年に没した平経盛を祀る。

寛文六(1666)年船河原大明神として再建の記録あり。明治(1873)六年「藤原神社」と改称。

昭和十三年焼失後、現在地へ移転再建された。




平経盛隠棲の洞窟

たいらつねもりいんせいのどうくつ
鳥取県八頭郡若桜町落折


平清盛の異母弟・平経盛は通説では壇ノ浦の戦いで入水したとされているが、伝承ではその後に上陸し落折(おちおり)地区に主従20人ほどで洞窟に隠れ住み平家再興の好機を待ち続けたという。落折地区の全戸が平家姓で、落折の地名も「平家が落ち居る」の落ち居るが訛ったものだと伝わる。


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)

大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。

神奈木流の成果

http://ameblo.jp/yukibayonetta/entry-12267243176.html

********************


元気に自然に、ノーファンデ宣言。

エステティックサロン

le grenier  [グルニエ] 

公式ホームページ

https://le-grenier.me/