古代国造り政治とタタラの中心的な要衝、青玉神社/神奈木流バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。



中国道・加西ICから県道79号へ

国道427号で40分、

「道の駅R427かみ」の道路を

挟んだ向かい側に青玉神社がある。


弥生時代、但馬の豪族 

天之日矛尊が、古代国造りの要衝

但馬・丹波・播磨の国境

三国山頂の「踊り場」に

祖神の天目一箇神を祀る

「踊り場」は、

神々の『まほろば』であり、

後に播磨・丹波の民が

この広場に集まり、

踊りによって祖先の霊と

一体になったと伝わる

奥播磨賀眉の里の各集落の氏神

としてオオタマ=青玉の森に

大歳の神と祀られた。

青玉さまは、三国峠を越えて

来られた出雲の神さまである

という伝承があり

稲・銅・製鉄・紙等の技術は

三国峠を越えて奥播磨に伝わる。

青玉神社は『鍛冶の神様』の

全国的な元宮となるらしい

鳥居をくぐると背の高いスギが

拝殿まで続き神聖で厳かな

空氣を感じることができる

境内にある夫婦スギは

さらに厳かで有り難い雰囲気

幾度となく訪れてますが

来る度にココロが整う気がする



























神社の向かい側には

「道の駅R427かみ」ができ、

さらに杉原紙研究所もあります。

杉原紙研究所で作られた杉原紙

宮中のお正月の恒例行事

「歌会始め」に使われる

そんな素敵な場所です。



青玉神社

あおたまじんじゃ

多可郡多可町加美区山寄上


主祭神 天目一箇命

   (天戸間見命)

配祀神 五百筒磐村命

   (大歳御祖命)


創立年不詳。 

慶長年間(15961615)、池田輝政検知のさい、境内除地。 

明治7(1874)、村社に列せられる。



当社は播磨、丹波、但馬の境、三国岳に鍛冶業のご神徳をもって奉斎されていた。

やがて、南の山麓なるこの地に遷座せられ、土地を拓き、農を進め、加古川流域の農業の繁栄をもたらせた。

かつては加美町北部の総氏神と崇められた。奇しく妙なるご加護は、家運隆昌、家内安全、農耕などの殖産興業の祖神と広く知れ亘り、近隣はもとより道行く遠近の人々は交通安全をはじめ、所願成就を祈る参詣者が多数あります。昔、狩人が身の安全を願う湯立の神事は、今も例年7月15日前後に行い、多くの参拝者が忌湯を浴びて無病息災を祈願している。勧請年月日は不詳なるも、明応2年、安政3年の二度も火災に罹り、現今の社殿は万延元年の造営によるものです。


この神社の西北に聳える三国獄の山頂に、播磨踊場という広い平坦な所があり、今も御手洗池という小池が残っている。そこに青玉さんが鎮座まし、斎祠されていたという。

青玉神社がこの地に創建された年代は定かではない。

境内の六本の多すぎは樹齢七・八百年以上かといわれ、又御神木(夫婦杉)は千年杉ともいわれている。これらの巨木から見て、神社が建てられたのは相当昔のことである。

休み石の謂われ

その昔、井ノ岡(猪の岡)という狩人が(のちに稲岡代明神として祀られている)、三国山に狩りに行った帰り道、背中が急に重くなり、ここ迄やっと辿りつき、動けなくなった。

この石に腰かけ、しばらく休んだ後、帰ろうと立ち上がれば背中が急に軽くなった。急いで村に帰り、この事を村の人に話した。村の長老がそれはきっと神様やと言った。それから村の人は口々に青玉さまを背負ってきたのだ。

ここに神様を祀れということだといって、その後この地を拓き清め青玉神社として祀ったそうである。

(案内板より)

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)

大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。

神奈木流の成果

http://ameblo.jp/yukibayonetta/entry-12267243176.html

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