奈良県から松阪市街地へ向かう
国道422号が166号に変わる
飯高町はかつて倭姫命が
天照大神の御杖代として、
ご意向を伺いながら
各地を転々とし、
最終的に伊勢の国の
現在の位置に伊勢神宮内宮を
創建されました。
途中転々とした場所のことを
「元伊勢」と言い、
飯高町にあった滝野神明社
も元伊勢の一つだったと
言われています。
この飯高の地を訪れた際に、
お迎えしたこの地を治めた
豪族・乙加豆知命に
この辺りの地名を訪ねた際、
「飯高の国」と応えると
飯高(ご飯が高々と盛られている)
とは貴い」と喜ばれたといいます。
国道166号に変わったあたり
右手に大きな赤い桶が見えます。
その向かいにあるのが
水屋神社
元伊勢の滝野神明社も
この神社に合祀されています。
水屋神社は春日大社に祀られている
天児屋根命の安在所です。
国分け伝説として由緒があり、
国土安泰、産業(農・商・工)
繁栄の神であることから、
この地でも崇められました。
この地で取った水を春日大社に送る
「お水送り」の儀式は
貞観元年(859)より始まり
今に残っています。
お水送りがあると言うことは
この地も豊富な鉄が取れる
ということでしょうか?
この神社境内裏の大きなクスノキ
樹齢1000年以上の「水屋の大楠」
とても神聖な空氣は
雨の日に光を集めてぼんやり輝き
まるで妖精たちが飛び交うように
幻想的な雰囲気を作り出し
夢の中にいるようです。
倭姫命に想いを馳せ
珍布峠などゆっくりもう一度
元伊勢巡りでもしてみたいと
思いました。
水屋神社
みずやじんじゃ
三重県松阪市飯高町赤桶
主祭神
天児屋根命、素盞鳴尊、天照大神、龍神姫命(龍神さま)、神功皇后、櫛稲田姫命、蘇民将来、誉田別尊、多紀理姫命、市杵島姫命、多岐津姫命、武内宿禰、豊玉姫命、大山祇神、宇賀之御魂神(お稲荷さま)、加具土神、乙加豆知命、菅原天神
水屋神社は松阪に縦断して流れている櫛田川流域にある神社で、お水祭りで有名です。
創建は1,000年以上前に、大和(奈良県)の春日大社の安在所として、天児屋根命を奉っています。
安在所とは、天皇が外出したときの仮の御所のことを言います。
648年(大化四年)に、奈良の三笠山から素盞鳴尊と龍神姫尊及び櫛稲田姫尊を勧請(神仏の来臨や神託を祈り願うこと)しました。
710年(和銅三年)興福寺東門院領「閼伽桶(あかおけ)の庄」となり1600年(慶長五年)関ヶ原合戦以降は伊勢領となりました。ちなみに、閼伽とは神仏に捧げる水をいいます
水屋神社に残る、1373年(南北朝時代文中二年)の棟札(むなふだ)と呼ばれる、建築物の造営や修復の際に、その建物の由緒や建築関係者,建築年月日などを記した札には、大和州閼伽桶庄宮と記されており、三殿並立の朱塗の春日造も明治二十五年現在の神名造に改められました。
閼伽桶の井とお水祭り
清和天皇859年(貞観元年)11月9日より、春日大社にお水送り(水を奉納)をはじめ、1577年(大正5年)の兵乱で途絶えてしまいました。
平成14年、425年ぶりに復活し、お水祭りでは閼伽桶(あかおけ)の井でくんだ水を、奈良県の春日大社へ神水として奉納しています。
水屋の大楠
水屋神社境内にある水屋の大楠は神木で天然記念物です。
樹齢1,000年以上で根廻り29m、樹高35mあり、春日さま、お稲荷さまを祀っています。
礫石(つぶていし)の伝説
水屋神社の裏の香肌峡600m下流に石灰岩の巨岩があり礫石と呼ばれています。
左岸の上の古道に歌碑あり、1847年(弘化四年)に大庄屋、滝野知雄が、「流れてはむかしに帰る川俣川礫岩うつ水の白浪」と刻み、往古和歌山街道を往来する旅人はこの石に礫を投げ、一度で当たれば男児出産するとて旅情を慰めました。
伝説は、昔お伊勢さま(天照大神)が、白馬に乗って珍布峠(めずらしとうげ)にさしかかられ水屋の森から鹿にまたがった春日さま(春日大明神)が出迎えました。
1人の神は、伊勢と大和の国境を決めるため笹舟を浮かばせ、巨石を投げ笹舟の留まる処を国境としました。
波で笹舟は川上へと流れて、舟戸で止まりました。波は高見山を越え杉谷村で消えました。
これ以降、高見山が両国の境となったといわれています。
「三重つーしんHPより引用」
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎