岡山県吉井川河口の巨石群ボンボン岩の霊場。祇園神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。




岡山県の邑久町はかつて

岡山県南東部、邑久郡にあった町。

画家の竹久夢二の故郷としても有名な町

その南、吉井川の河口には

干拓された広大な農地が広がり

水門の町としての趣きがある

広々とした田園地帯にのんびりと

流れる海のような吉井川の

穏やかな景観に何処か

遠い昔の懐かしさがある。

吉井川の河口部東岸

ボンボン岩とよばれる

巨石群がありその下に

祇園神社がある

ボンボン岩の沖合500mには、

比沙古(ピシャゴ)岩があり

灯台が立てられていますが、

元々は観音像がありました。


かつて児島湾の干拓が進む前には、

この巨石群は海上の島だった

この地より西にある高島は、

神武東征神話に関わる

聖蹟伝説地として知られます。

その東には安仁神社があり

昨年訪れたことがあります。

その山はかつての岬にあたり

神武天皇が船の綱を掛けた

磐座の綱掛石神社があった

幸地山は「いでましどころ」と

神武天皇東征の折、

軍船を停めて山の南端鳥越から

景色を眺望されたという

伝説が残っている

亀石にも伝承があったが

高島から綱掛石神社の航路上に

ボンボン岩と亀石があったと

推測すればこの巨石群も

聖地であったように思います。


江戸時代この辺り外波崎といわれ、

岡山藩が「台場」(砲台)を

設置したところでもある。

児島の小串にも台場があり、

それと向かい合う形で

設置されたものだという。

航路を守る重要な場所のようです。

また、源平合戦の折、

戦死者を葬った「千人塚」が

あったともいい外波崎というのは、

別名「卒塔婆崎」とも言われた。

卒塔婆と言う名称で戦死者の霊を

弔うなど凄惨さが伺える









様々な時代を経て現在では

磐座群に囲まれた神社は

穏やかな風土に恵まれて

とても癒される。

磐座群の丘を登ると

裏には霊場がある

邑久南巡り八十八箇所霊場

第66番札所

とても綺麗にお祀りされている

河口を眺めて

ゆっくりと時を過ごすと

心が穏やかになれそうでした。









祇園神社

ぎおんじんじゃ

岡山県東区西幸西


主祭神 牛頭天王(素戔嗚尊)


昔はボンボン岩ではなくてドンドン岩と呼ばれていた。

明治時代の終わりに「幸島稲荷神社」(岡山市東区水門町)に合祀されることになった。すると、原因不明の熱病が蔓延し、地元では「幸西病」といわれた。「祇園宮」の崇りではないか、として、合祀を取りやめ、元に戻したという。



邑久南巡り八十八箇所霊場

瀬戸内市邑久方面には、「邑久南巡り八十八箇所霊場」というものがあります。

四国お遍路さんのミニチュア版で気軽に立ち寄ることができます。


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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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