島根県の出雲大社周辺には
原始信仰を受け継ぐ磐座信仰の
古いお社や洞窟などがある
また、京都府亀岡市の
「出雲大神宮」は「元出雲」と
言われる古いお社です。
その「出雲大神宮」から西へ
亀岡盆地を挟んだ山地にも、
「出雲」が色濃い地域がある。
磐座信仰が残る神社がある
地域でもあります。
亀岡市の出雲神社は、
往古の口丹波は出雲系と大和系の
神々の接点でした。
ここ本梅町域には出雲系の人たちが
住み着いていたようです。
当社は旧丹波国一宮・出雲大神宮と
同じ磐座に降り立った神を
祀ったのが最初とされ、
社頭に大きな岩が露出しています。
その大岩の傍らに社殿を建て、
兵火に遭い消失するも再建され
現在地に遷座。
神社は本梅小学校の裏手の
子供たちの声が賑やかな場所
また神社の隣には毘沙門堂がある。
小学校校舎裏の竹林に聳える磐座
古代の磐座信仰を色濃く残す
貴重な神社です。
出雲神社
いずもじんじゃ
京都府亀岡市本梅町井手西山
御祭神 大己貴命
当社の社伝によれば「往古より社地に大岩あり、其の岩の傍に 出雲大明神と称する社祠あり、早田太夫なる者、承正年中 迄奉祀す。天正年中大己貴命を祭神とし社殿を建立し たるも仝年中、戦国時代の兵乱に逢い社殿古記録等 焼失す。」とあり按ずるに当社は約二千年程前に 此の地に住み着いた人達によって此の大岩に神を 迎えて祭った磐座祭祀で最古の神社形式で廣 峯神社と同じ出雲系の部族によって祭られたものと思う。 祭神も大己貴命(大国主命の同一神)で廣峯神社の御子である。
大明神と云う神号は鎌倉時代以降のもので承正と云う年号は 無い。仮に承久と定めるが早田太夫とある太夫名は室町時代から一般 に使用されたと思われる。よって右社伝は正確とは云いがたい。然し天正 年中(一五七三~一五九一年)社殿を建立したのは確であろう。それ迄は社 殿は無かったのではないか。兵火に逢い、後、再建され明治迄は出雲 大明神と称し明治三年、出雲神社と改称、明治六年六月、 村社に列格、昭和四年、現在の立派な社殿に大改築された。
例祭 十月十六日 春の宮黨 二月十八日 秋宮黨 十二月十八日
境内案内板より