岡山市東区の南北に流れる
岡山三大河川のひとつ
吉井川の東側になる。
西大寺エリアの南東に位置し、
瀬戸内市邑久町や
牛窓町との境界に近い。
岡山市の南東の端に近い場所に
西大寺一宮と呼ばれる地名がある。
その一宮にあたるお宮さん
安仁神社
宮城山(みやしろやま)・
別名を鶴山という標高約80mの
山の北の中腹に鎮座している。
江戸時代に安仁神社が
備前岡山藩主の祈願所となると、
宝永2年(1705年)に、
岡山藩主・池田 綱政によって
現在地に社殿を新しく建てて
遷座したといわれているが
昔は宮城山の山上に
鎮座していたという。
『続日本後紀』では、
承和8年(841年)2月8日の条に
安仁神預名神焉
あにのかみみょうじんにあづかる
とあるのが初見となる。
平安時代前期に
有力な神社を記載した
『延喜式 神名帳』には
備前国唯一の名神大社として
記載されている。
古くは「兄神社」や
「久方宮(ひさかたのみや)」とも
称していたと伝わります。
古代は宮城山付近まで
入江になっていて
安仁神社の南の山中には、
綱掛石神社があって、
古代祭祀跡といわれる磐座や
列石があるという
この磐座は、
かつて神武天皇が立ち寄り、
船の「ともづな」を掛けたという
伝承がある。
綱掛石神社という神社名も
これに由来していると伝わる
亀石神社に訪れたとき
案内板に安仁神社の記載があり
訪れることにしましたが
何とも歴史ある神社で
亀石神社共々
神武東征の先駆けとなる
由緒ある地が点在している
そんな場所のポイントになる
そんな神社のようです。
神武東征というと五瀬命が
討たれてからのストーリーが
よく知られていますが
難波に着くまでの物語は
中々マニアックです。
今回の亀石神社だけでなく
更に安仁神社のお参りは
調べれば面白く
次回は船の「ともづな」
綱掛石神社にお参りしたいと
チェックしました。
奈良や和歌山、熊野を
訪ねたときより
深く神武東征に興味が湧きます。
いずれは
日向から宇佐、そして岡水門と
神武東征の足取りを
辿ってみたくなりました。
安仁神社
あにじんじゃ
岡山県岡山市東区西大寺
主祭神 五瀬命
配 神 稲氷命 御毛沼命
式内社(名神大社)、備前国元一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
古くは「兄神社」と称していたと伝えられることから、初代天皇の神武天皇の「兄」に当たる五瀬命ほか二神を祭神としたもので、明治時代に定められた。
古文献では当社の祭神については様々な記述がある。社名より平安時代の参議秋篠安仁(あきしののあに)や右近衛大将安倍朝臣安人(あべのあそんやすひと)、和珥氏の祖神であるとするもの、天照大神、五十狭芹彦命(吉備津彦命)、また、単に当地の地主神であるとする説もある。このように諸説あって定められないことから、1870年(明治3年)の『神社明細帳』では「未詳」と書かれている。現在の五瀬命は1875年(明治8年)に安仁神社社務(神職)が作成した『安仁神社御傳記』に初めて現れるが、1925年(大正14年)に社務所が作成した『安仁神社誌』では、やはり定められないとして社名に神をつけた「安仁神」としている。第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)に作成された『神社明細帳』で再び五瀬命とされ、現在に至る。
創建の年代は不詳。社伝では、神武東征の際に五瀬命が数年間この地に滞在し、神武天皇が即位の後に五瀬命ら皇兄たちをこの地に祀って「久方宮(ひさかたのみや)」と称したのが起源としている。
国史の初見は『続日本後紀』の841年(承和8年)2月8日条に「安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)」とあるもので、平安時代後期に編纂された『延喜式神名帳』では備前国では唯一の名神大社に列せられている。元々は当社が備前国一宮となるはずであったが、939年(天慶2年)における天慶の乱において当社が藤原純友方に味方したため、一宮の地位を朝廷より剥奪されたとされる。その後、備前国一宮の地位は天慶の乱勃発当時に朝廷に味方した備中国の一宮である吉備津神社より御霊代を分祀されて創建した吉備津彦神社(岡山市北区一宮)に移ったと伝えられる。
元々、社殿は背後の宮城山(みやしろやま)の山頂にあったが、1344年(康永3年)に火災で焼失した。その後、備前藩主池田綱政によって現在地である中腹に再建され、備前藩の祈願所となった。
1871年(明治4年)に国幣中社に列せられ、祭典への勅使参向、1926年(大正15年)には皇太子裕仁親王の行啓を仰ぎ、祈年祭・新嘗祭・例大祭には併せて幣帛供進使の参向があった。第二次大戦後は神社本庁所管の神社として別表神社となった。
明治年間、大雨によって本殿後方の法面(のりめん)が崩れた際に弥生時代中期の銅鐸が発見された。この銅鐸については後に京都大学教授の小林行雄によって学会に報告されている。銅鐸は岡山県指定重要文化財に指定され、岡山県立博物館に寄託されている。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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