兵庫県神戸市の北西に位置する
三木市の地名の由来は、
「播磨風土記」などにも登場する、
神功皇后が当地より献上された
「御神酒(おみき)」が語源で、
「御酒」から「三木」になりました。
その語呂合わせなのか
御坂、三坂、美坂、御酒と呼ぶ社は市内に8ヵ所あります。
その中のひとつ
「御坂神社」
天正の兵乱で焼失し、
慶長13年(1608)現在地へ
社地を移したと言われています。
本殿外壁上部の白虎、青龍や手挟の
彩式彫刻が美しい。
毎年2月11日にはお弓神事が行われ、
5月の上旬には五穀豊穣を祈る
春の例祭が行われます。
因みに
履中天皇が親拝した。その際に、
「この川の流れは大変美しい」
といったことにちなみ、
この地域一体を
「美嚢郡(みなぎのごおり)」と
呼ぶようになったという。
また、履中天皇の食膳に
シジミが這いあがったことから、
この地をしじみ(志染)と
いうようになったという。
御坂神社
みさかじんじゃ
兵庫県三木市志染町御坂
主祭神 八戸桂須御諸神
八戸桂掛須御諸神(やとかけすみもろのかみ)を主祭神に大物主神と葦原志男神を配祀するが、3神とも大国主神の別名である。
『延喜式神名帳』に「播磨国美嚢(みなぎ)郡一座 御坂神社」と記載された式内社で、旧社格は郷社。志染の氏神。
鎮座年代は不明。『播磨国風土記』には「志染の里三坂にます神八戸掛須御諸神は、大物主と葦原志男の国堅めたまひし以後に天より三坂峯に下り給ひき」との記載があり、第17代天皇、履中天皇が参拝になったとも伝えられる。その際に、履中天皇が、「この川の流れは大変美しい」といったことにちなみ、この地域一体を「美嚢郡」と呼ぶようになったという。また、天皇の食膳にシジミが這いあがったことから、この地をしじみ(志染)というようになったという。
以後天正年間、羽柴秀吉が中国討伐の途次、三木の別所長治居城釜山攻めを行い、その際兵火にかかり焼失し、古記録一切烏有に帰したことが記録に残されていたということも、今はその記録を見ることが出来ない。
神功皇后「酒楽の歌」
日本の古文献に於ける「酒」の初出は『古事記』だろうか。応神天皇が角鹿-つぬが-(若狭・敦賀)から大和に帰還したときに神功皇后が献じた「酒楽(さかくら)の歌」というのがあり、この返歌に次のようにある。
「この御酒(みき)を 醸(か)みけむ人は その鼓(つづみ)臼(うす)に立てて 歌ひつつ醸みけれかも 舞ひつつ醸みけれかも …」と。また、『風土記』大隈国風土記逸文「醸酒」には、「大隈の国では、一軒の家で水と米とを備えて、村中に告げてあるくと、男女が一所に集合して、米を噛んで酒槽(さかぶね)に吐き入れて、散り散りに帰ってしまう。酒の香が出てくるころまた集まって噛んで吐き入れた人たちがこれを飲む。名づけてくちかみの酒という」ともある。古代、日本酒は「口かみ」により醸造したことが伺える記述である。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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