収束への祈り「おうちθヒーリング 六甲山」/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。










六甲山は、兵庫県南東部、神戸市の市街地の西から北にかけて位置する山塊である。瀬戸内海国立公園の区域に指定されており、また新日本百名山、日本三百名山、ふるさと兵庫50山の一つでもある。

この地帯は古くから「むこ」の名称で呼ばれ、武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられており、『日本書紀』神功皇后摂政元年の条には「務古水門(むこのみなと)」の記載がある。語源については、畿内から見て「むこう」を意味するという説が有力であるが、諸説があるという。六甲山全山はかつて廣田神社の領地であり、「広田神社」の項に、祭神名の撞賢木厳御魂天疎向津比売命と関連して「向津は武庫津というに同じ」とあり、廣田神社祭神向津姫(瀬織津姫)との名称の一致がみられる。「六甲」の字が当てられるのは比較的最近で、元禄時代にできた『摂陽群談』に見られるのが初期の例であり、享保年間の『摂津志』には「武庫山一名六甲山」の記載が見られるという。古くから急峻な地形であることから山岳修行の山でもあった。768年(神護景雲2年)には和気清麻呂によって再度山山頂近くの南斜面に大龍寺 (神戸市)が開かれた。山号は空海が2度参詣したことに由来するという。

奈良時代には律令制下で農地増加を図るために墾田私有を認めたことに始まる荘園制度が確立され、中央貴族、大寺社、地方の富豪が山林を開墾して荘園が拡大し、山麓部の森林はカシやシイからなる常緑樹林から二次林であるアカマツ林やコナラ林へと推移した。また、周辺の寺院や城砦の建設資材を供給するため樹木の伐採や土地の改変、御影石などの砕石が行われた。

平安時代には末期の1180年(治承4年)平清盛の主導で造営が進められた福原京の資材は六甲山から供給された。平氏が神戸に拠点を置いたことから源氏との戦い(治承・寿永の乱)では1184年(寿永3年/治承8年)の一ノ谷の戦いなどの戦いが勃発したため、六甲山の中腹や奥山まで森林が荒廃するようになった。また、南北朝時代には1333年(元弘3年)の摩耶山合戦や1336年(建武3年)の湊川の戦いがあった。 室町時代後期には応仁の乱にまつわる1469年(文明元年)の兵庫焼き討ちなどで荒廃が進んだ。

鎌倉時代から安土桃山時代(戦国時代)には1333年(元弘3年)赤松則村により築かれた摩耶山城では摩耶山天上寺を城郭として修築したほか、1334年(建武年間)再度山上に多々部城(たたべじょう)などの山城が築かれた。1580年(天正8年)には荒木村重が花隈城に篭って、山路城(諏訪城)の池田恒興と戦った花隈城の戦いなどの争いがあり、これらの戦いと復興のたびに周辺の樹木の伐採などが大規模に行われた。さらに、1590年に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉政権時は「武庫山の樹木の伐採勝手たるべし」との徳政令が出たこともあり、六甲山の「禿山」化がさらに加速した。以降、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で焼失した大坂城を再築した徳川幕府による大坂城再築事業では、2代将軍徳川秀忠により石垣の調達を大名に命じて1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)までの約10年の歳月をかけ石垣の採掘を行い大坂城へ運び込まれた。なお、各所の藩の名が彫られた刻印石が残る搬出途中で放棄された巨大な「残念石」が現在でも甲山森林公園や六麓荘町など西宮市から神戸市にかけた東西約6km、南北約2kmの山麓周辺に放置されており、これらは「徳川大坂城東六甲採石場」と呼ばれる。

江戸時代には山麓の人々が山中の谷奥に溜池を築き、牛の飼料や屋根に葺く萱、燃料の薪や土壁などの様々な生活物資を求めて奥地にまで及び荒廃はさらに進んだ。あわせて山火事も多発することとなって、明治初期には六甲山一帯は禿山で、所々に芝草が生育している程度まで人々の手で荒廃された山であったとされる。

廣田神社




エステティックサロンle grenier  [グルニエ] の
マインドフルネス。
題して
収束への祈り「おうちθヒーリング 六甲山」

緊急事態宣言を受けて「おうち」で過ごす皆さんの不安はやがてストレスとなり自律神経に影響を与えることになります。多少でも自律神経のバランスを保つ方法として短い動画を載せました。
収束に祈りを込めて
シンギングボウルそして自然の中の「波動」と「倍音」によって、「乱れた“気”を浄化する」、心と身体のエネルギーの循環を促して「私たち自身の“元気”を呼び起こす」、2つの強い力で皆さんに癒しをお届けします。


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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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