京都嵯峨野の落柿舎の隣りにひっそり佇む、有智子内親王墓/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。




京都嵯峨野に
嵯峨日記で有名な
松尾芭蕉の弟子・向井去来の
別荘として使用されていた落柿舎
その隣りにひっそりと佇む
宮内庁が管理する墓陵
有智子内親王墓です。
嵯峨天皇の皇女で
文才に恵まれた女性漢詩人
有智子内親王






常寂光寺に向かう途中に
何気に通り過ぎて
ふと鳥居気が付き立ち寄った
この鳥居の形は天皇陵など
いわゆる古墳で見られるつくり
嵯峨天皇は知ってても
有智子内親王はこのとき
初めて知りました。

嵯峨野の山に雪が積もり
傘を持つ手が冷たい日
この墓の前だけは
とても穏やかで気持ちの良い
空気に包まれていました。






有智子内親王墓
うちこないしんのうのはか
京都市右京区嵯峨野

有智子内親王

落柿舎の隣りにひっそりとありる
内親王は、平安初期、父 嵯峨天皇、母 交野女王との間に生まれ、初代賀茂斎院となった方です。斎院は、斎王ともよばれ賀茂神社に奉仕する未婚の内親王または女王です。豊かな文才に恵まれた皇女で、日本史上数少ない女性漢詩人のひとりといわれています。

有智子内親王は弘仁元年(810年)の薬子の変をきっかけに、初代賀茂斎院に定められたと言われる。嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩をものしたことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したという。その詩作は『経国集』などに合計10首が遺されており、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。

陵墓は京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町、落柿舎の隣。


落柿舎
らくししゃ
京都市右京区嵯峨野
松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた草庵であり、その名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著した場所としても知られている。
去来がこの草庵について書いた
『落柿舎ノ記』がある。
庵の庭には40本の柿の木があり、日頃去来は人にこの庵の管理を任せていた。ある時(1689年(元禄2年)頃)、去来がちょうど在庵中に、都から柿を扱う老商人が訪ねてきて、庭の柿を一貫文を出して買い求めたので、去来は売る約束をして代金を受け取った。しかしその夜、嵐が吹き、一晩にして柿がすべて落ちてしまった。翌朝来た老商人がこの有様に呆然としつつ、代金を返してくれるよう頼み込み、去来はこれを不憫に思って柿の代金を全額返した。この老商人が帰るにあたって去来は友人あての手紙を託し、その中で自ら「落柿舎の去来」と称したという。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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