尼崎は大阪や神戸からも近く、
活気があり利便性の高い土地。
尼崎藩の城下町を中心に
工業都市へと発展を遂げ、
中核市の指定を受ける以前の
1948年から保健所政令市に
指定されている。
昔から住んでいる人が多く、
地域のつながりを大事にしている
そんな印象がある
そんな尼崎に貴布禰神社はあります。
「尼のきふねさん」で親しまれる
尼崎屈指の神社です。
かつて尼崎城主のご祈願所を務め、
たびたび雨乞いの神事が
行われてきました。
戦後は工都・尼崎の守護神として
信仰が篤い神社です。
往古尼崎の南部は海の底にあり、1300年代に陸地となったという
海に近く、長洲のあたりは
海産物が豊富に獲れたうえ、
淀川と鴨川の水運で
京都とつながっており、
上賀茂神社・下鴨神社の御廚
(みくりや・食材を調達する地域)とされていた。
そんなご縁で神社が建ったそうです。
地域ぐるみでのまちおこしは
各地で盛んだですが尼崎では、
貴布禰神社が寄り合い場所となり
社会は社で人が会うと書く、
神社の持つ本来の役割は
人の集う場所でなければならない
そういった考えから
「きふね寄席」や縁日など
宮司さん自らがまちおこしに
力を注いでおられるようです。
因みに宮司さんの江田家は
400年続く神官家で、
現在は17代目。
国道43号で兵庫と大阪を
車移動でよくしますが
いつも気になっていた神社で
やっとお詣りしました。
鳥居を潜り楼門をぬけると
想像以上に大きな境内です。
43号沿いの車の騒音は
まったく気になりません
神社特有の慎ましく凛とした
空氣が境内を守っている気がする。
地域の皆さんにとても
愛されている神社
そんな印象です。
境内にある摂社はどれも
とても立派でしかも個性的
お詣りして観て楽しめます。
貴布禰神社
きふねじんじゃ
兵庫県尼崎市西本町
京都の貴船神社を総本宮とする、旧尼崎町の惣氏神。いわゆる尼崎のだんじり祭は同社が有名である。
主祭神 高龗神
漁業や水運をつかさどる水神とし、高龗神が漁民・海民の信仰を集めた。また、近世には度々雨乞いの神事が行なわれるなど農業の上でも重要な信仰対象であり、歴代尼崎藩主の崇敬も厚かったと伝えられる。
本殿 -
主祭神 高龗神、
配神 加茂別雷大神、加茂御祖大神
境内社 19社の祭神を祀っている
貴布禰神社HPより
かつて尼崎城主の崇敬が篤く、代々御祈願所を務めてきたことから、現在に至るまで多くの市民に「尼崎の総氏神」として親しまれています。
創建年代は明らかではありませんが、摂津志には嘉暦元年(1326)に創建されたと伝えられています。尼崎城内三ノ丸に鎮座していましたが、元和3年(1617)の戸田氏鉄による改築城の際、現在の西桜木町に、現社地には正徳5年(1715)に遷座しました。
昭和20年6月15日、大東亜戦争の戦火に遭い社殿をはじめ境内建物のほとんどを焼失しました。現在の社殿は昭和25年に阪神間ではいち早く復興されたもので、その後、平成14年に大改修工事を行いました。
Wikipediaより
なお、同名の神社が市内の長洲中通三丁目にも存在する。発祥の地は長洲(ながす)の貴布禰神社とされ、中世の発展と共に分祀されたものと考えられる。
創建の由縁については、平安遷都の際に運搬船を仕立てた紀氏が紀船(きふね)社を祀った逸話や、丹生川上神社・貴船神社との関連等諸説ある。
長洲貴布禰神社
東長洲字南畑(現・長洲中通三丁目8-28地図)に創建された貴布禰神社はその後も同地に鎮座し、東長洲の氏神として祀られている。社号については、近世には貴布禰大明神とも称した他、西本町の同社と区別するため長洲貴布禰神社と称する場合もある。主祭神は高龗神(タカオカミノカミ)、毎年10月の体育の日前日に例祭が行なわれる。
分祀後
長洲からの分祀については、中世に行なわれたもの(尼崎惣社)と考えられる。創建の地は尼崎城の西三の丸(現・北城内)にあったが、同地に戸田氏鉄が尼崎城を改築するのに伴い元和年間に西屋敷役人町(現・西桜木町)に移転、さらに1715年(正徳5年)に宮町(現・西本町六丁目)の現在地へ移転した。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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