綱掛け神事の女綱の栢森に鎮座する、加夜奈留美命神社 /神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。













壬申の乱まで天武天皇が身を隠すのに通ったとされる県道15号通称桜井明日香吉野線を明日香から南下。栢森(かやのもり)集落に鎮座。周辺は道が狭く、駐車場もなく栢森集会所に駐車させていただきました。

集会所から川沿いの石段を上がったところに加夜奈留美命神社の境内がある。境内は広くなく、こじんまりと鎮座している。本殿の左に、式内の瀧本神社の論社、九頭神社くずじんじゃの祠があり、右手にも境内社がある。神武天皇遥拝所の石碑もある。


誰が置いたのか蛭子さんと大黒さんはまるで摂社の下で楽しく踊っているようです。
境内に風化して朽ちた遊具がかつてこの神社が子供達の遊び場だったことを思わせてとてもノスタルジーで、時代の流れを感じさせてくれます。この風化して朽ちて苔むす何物も自然の中に入ると閑かに馴染んでいく様、これこそ侘び寂びなのかもわかりませんね。








加夜奈留美命神社 
かやなるみのみことじんじゃ
奈良県高市郡明日香村大字栢森

主祭神 加夜奈留美

カヤナルミ(賀夜奈流美命)とは、『延喜式』「祝詞式」にある『出雲国造神賀詞』に登場する神。 神賀詞では賀夜奈流美、飛鳥坐神社・加夜奈留美命神社では加夜奈留美とされている女神。ただし男神とする説もある。

『出雲国造神賀詞』には「賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神登貢置天」とあり、「大物主櫛長瓦玉命」、「阿遅須伎高孫根乃命」(アヂスキタカヒコネ)、事代主とともに皇室を守護する神として述べられている。『延喜式交替式』、『類聚三代格』には「賀屋鳴比女」とある。

『古事記』、『日本書紀』にその名がないため、その出自は明らかではないが、『古事記』の大国主の系図に登場する鳥鳴海神(トリナルミ)や布忍富鳥鳴海神(ヌノシトミトリナルミ)(どちらも男神)との関連が考えられる。なお名義は未詳であるが、奈流美と同音の鳴海は鳴り響く海の意とする説がある。

『日本三代実録』によると貞観元年(859年)正月二七日に大和国の賀夜奈流美神を従五位下から正四位下にしたとある。

柏森(かやのもり)の集落北東の小高い森に鎮座。社前を稲 淵川が流れる。祭神は加夜奈留美命。旧村社。 江戸時代には葛神と称したが、カヤノモリ とカヤナルミが類似するため、「大和志」が「延 喜式」神名帳の高市郡「加夜奈留美命神社」にあ て、以後式内社に治定されている。加夜奈留美 命は飛鳥の神奈備に坐して、皇孫の守護をした 神で(「延喜式」出雲国造神賀詞)、「五郡神社記」や 「大神分身類社鈔」は高照姫命のこととする。 「延喜交替式」「類聚三代格」には「賀屋鳴比女」と も記し、天太玉神・櫛玉神・臼滝神とともに飛 鳥神の裔神とみえる(貞観10年6月28日「太政 官符」類聚三代格)。「三代実録」貞観元年(859、 天安三年)正月27日条に大和国従五位下賀夜奈 流美神に正四位下を授けたとあり、四裔神のな かでは最の神位が高い。飛鳥神奈備は天長六年 (829)鳥形山(現明日香村飛鳥)に移されたが、 その後も賀夜奈留美神の本霊は旧地にとどまっ たものと考えられている。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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