法道仙人の創建の修験道の寺、伽耶院/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。



志染町大谷にあり、
志染川をはさんで、
志染の窟屋の反対側に、
このあたりでは数すくない
修験道の寺がある。
寺伝によると、
法道仙人が毘沙門天のおつげで、
大化年間に創建したといわれ、
中世にはかなり栄えたらしい。
しかし秀吉の三木城攻撃のとき、
ここの東南にある丹生山明要寺と
ともに兵火にかかって
一山ことごとく焼失してしまった。
その後江戸時代に
姫路城主池田輝政や
明石城主小笠原忠真らに帰依され、
一部が再建されて現在にいたっている。










体育の日は関西一円の修験者が
山伏姿で集まり
全山にこだまするホラの音、
もうもうと立ちこめる
煙の大護摩で参拝者が
各地から集まる。
花山天皇の行幸もあり、
全盛時代は数十の堂宇、
百三十余の坊があったと
いわれている。








伽耶院
がやいん
兵庫県三木市
天台系修験道の寺院。
山号は大谷山(おおたにさん)。
宗派は本山修験宗。
本尊は毘沙門天。
山伏の寺として知られる。
新西国三十三箇所第26番札所。

寺伝では孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645年)に法道仙人が開基したとされる。以来大谿寺(だいけいじ)と称していたが、延宝9年(1681年)に後西上皇の勅により仏陀伽耶に因む寺号、伽耶院と改めた。

法道仙人は天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる伝説的な人物である。現在の兵庫県南部を中心に法道開基伝承をもつ寺院が点在することから、「天竺から飛来」云々はともかく、モデルとなる山岳修行者が存在したことは想定される。法道開基伝承をもつ他の寺院と同様、伽耶院についても草創の正確な時期や経緯については判然としない。

平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊舎をもち、花山法皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火により、また慶長14年(1609年)には失火により、城塞のような石垣を残して全山を焼失した。現存する堂塔は慶長15年(1610年)以降の諸国大名の寄進によるものである。

中世以降、聖護院末の修験寺院として勢力をもち、江戸時代には天台系山伏を統率する四院家のひとつとして修験界に威をふるった。現在も10月の体育の日には、各地から多数の山伏が参集し、近畿地方では最大の規模を誇る採燈大護摩が行われている。
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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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