福知山の土師氏の里を訪ねて。土師川のほとり土師天満宮/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。


土師川の東岸の由良川との合流地点、
土師橋・新土師橋から福知山高校あたり
古代の土師郷で、
「和名抄」丹波国天田郡十郷の1つに
土師氏の集落だったと思われる地に
土師氏の野見宿禰神命末裔
菅原道真を祀る土師天満宮がある。
平安時代から荘園として栄えた場所であり
土師氏の歴史を語るのに
外してはならないような神社に思える









水の通り道には風の通り道があり
清らかな氣の行き交う丘
そんな氣に囲まれ、
さらにこの日の雨上がりの緑は眩く
美しく計算された境内そして社殿を彩る

以前より皇大神社へお詣りするときに
いつも気になっていた土師川の拠点
やっとお詣りできました。

気になっていた神社は
想像以上に美しく
いい意味で期待を裏切ってくれた。

折しも来年の大河ドラマは明智光秀
福知山城を訪れる人も多くなると思います。
そんな時にでもお詣りされると
きっと清々しい気分なるでしょう。








土師天満宮
はぜてんまんぐう
京都府福知山市土師町

主祭神 菅原道真

社伝によると、本天満宮は京都の北野天満宮より分室して土師氏神として祭祀したものである。
道真公は「三代実録」「類聚国史」の編纂に関わり、「菅家文草」を著した、当代一流の学者詩人であった。醍醐天皇の昌泰四年(九〇一)に右大臣から太宰権帥に左遷され二年後の延喜三年(九〇五)窮迫の末に現地配流地の太宰府で没した。其後社会的に不穏な情勢が現れ、京都では落雷などの被害があり、これが道真公の祟りとする噂が広まり、さらに御霊信仰と結びついた。其の没後二十年朝廷は道真を本宮に復し、正二位を賜り左遷の宣命を焼却した。さらに天慶五年(九四二)右京七条に住む多治比奇子という少女に託宣があり、これによって皇居鎮護の神として北野に社殿が造営された。一条天皇の永延元年(九八七)にはじめて勅祭があり宣命によっり天満宮天神と称することとなった。正暦四年(九九三)には正一位右大臣大政大臣を追贈、以後歴代天皇の行幸の先例となり朝廷の尊崇は篤く学問の神様として広く人々に信仰されております。又、芸能の神として崇拝されております。
土師天満宮は京都北野天満宮より分室して土師氏神として祭祀し今日にいたり土師区民の崇敬を集めています。

寛治5年(1091)11月15日付の丹波兼定寄進状に「西限土師郷并奄我」と見え、当郷が雀部荘の西に位置していた。郷域は現在の福知山市土師・前田などの地域に比定されている。
中世は、土師荘で、平安末期~戦国期に見える荘園。
土師村は、江戸期~明治22年の村。福知山藩領。
土師川堤防から江戸ケ坂下まで京街道沿いに旅宿屋や商家が並ぶ土師新町と称される町並みが形成されていた。
江戸ケ坂(絵堂ケ坂)の町打場に、30町の距離で500目玉の大筒を7発打ったことを刻す万治2年建立の石碑がある(丹波志)という。
明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年雀部村の大字となる。
土師は、明治22年~現在の大字。はじめ雀部村、昭和11年福知山町、同12年からは福知山市の大字。明治25年頃山陰街道が改修され土師川橋が架設された(以前は土師の渡しがあった)。同33年府立第3中学校創立(現府立福知山高校)が創立された、郡部では最初の府立中学校であった。
一部は昭和47年長田野1丁目、同52年土師新町1~4丁目・土師宮町l~2丁目となった。


夜久野町直見の天満神社は野見宿禰を祀る、直見はノウミと呼ぶ、野見と同じで鑿(ノミ)、岩石を砕くノミのことだろうと推測される「谿羽野見縣主尾崎旧記(天満神社記録)」が残され、奉納相撲が行われる。野見氏が土師氏になったもので、そのノミ(直見)という古い氏族名を残しているので当地・土師よりも古い村であろうと思われ、出雲ではなく夜久野から移動してきた説もある。直見は居母山の西麓にあり、金属と関係あると思われ、埴輪を作ったことで、鍜場を賜ったという、鍜場は鍜冶場のことかも知れない、祖神の天穂日命はホは火で、ヒは霊のことだろうから、金属精錬の神と思われる。
土師氏は中央では墳墓作りなどをしていたが、後に火葬の普及により家業不振に陥り、8世紀の終わりころに、菅原・秋篠・大枝と改姓した。土師氏には四腹があり、桓武の生母は高野新笠といって百済・聖明王から出た和氏の娘だが、母親は大枝氏で、土師氏の毛受腹と呼ばれる支族、和泉国百舌鳥あたりにいた。ほかに大和国菅原と秋篠、さらに河内国志紀・丹比郡をそれぞれ本拠地とした四支族に分立していた。土師氏は大氏族で、山城・出雲・遠江・武蔵・下総・常陸・美濃・若狭・丹波・但馬・因幡・石見に、土師郷は上野・下野・丹波・備前・筑前に、阿波に埴土郷がみえる。

宝蔵山古墳出土の土師器土師器(はじき)は、土師氏の器と書く、古墳時代初期以降の素焼の土器。煮炊きや食器に用いる実用的なものが多く、庄内式とか布留式とか呼ばれる土器である。後の須恵器の普及で姿を消していく。東隣の前田の宝蔵山古墳からはその土師器が多数出土している。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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