名古屋の中心部
中京の企業の税金によって車線が広く
車の数も半端なく多い
そんな都会の雑踏の中にあって
鎮まる杜に凛と張り詰めた空気
静寂の中に参道を参る人の
足音が「ザッ、ザッ」っと響き
鳥のさえずりと掃除する音
忙しい巫女さんの朝のお勤め
ここの多くの神々が目を覚まします。
神話の国造りに
重要な役割を果たした草薙剣
その剣を祀る
ここは尾張 熱田神宮
大阪を5時前に出て
朝早くのお詣りになりました。
朝早くのお詣りはとても清々しい。
初の熱田神宮詣に心弾みました。
東西に八百万の神がおられました。
熱田神宮
あつたじんぐう
愛知県名古屋市熱田区
主祭神 熱田大神
神体 草薙神剣(草薙剣)
主祭神である熱田大神について、熱田神宮は「三種の神器のひとつである草薙神剣を御霊代としてよらせる天照大神」とする。すなわち、草薙神剣の「正体」としての天照大神をいい、いい換えれば、草薙神剣そのものが天照大神の「霊代(実体)」としての「熱田大神」である。
戦前までは、主祭神を「草薙大御剣神」(『熱田神宮略記』(1877年(明治10年)))「天璽草薙大御劔(あまつみしるしくさなぎのおほみつるぎ)」(『熱田神宮略記』(1939年(昭和14年)))などとしながら表現上における正体と霊代の区別がなされていなかった。ただし、草薙神剣を天照大神とする捉えかたそのものは『熱田明神講式』(平安時代末期)にすでに現れる古いものである。しかし、より古い『尾張国風土記』逸文には、日本武尊が宮簀媛に草薙神剣を手渡す際に自らの形影(みかげ)とするようにと言い残したとあり、奈良時代には日本武尊を草薙神剣の正体とする見かたがあったともいわれる。平安時代以降は、伊勢の皇大神宮(内宮)の祭神である天照大御神を草薙神剣の正体とすることが通説であり、このことで伊勢と熱田は「一体分身の神」を祀る神社であり、日本国を支える2柱であるとさえされてきたのである。
相殿には、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した[要出典]。
『延喜式』の巻三神祇三(臨時祭)や巻九神名帳上に「熱田神社一座」とあるように、古代までは神剣のみを祀っていた可能性が高い。伝承では都から神剣が遷座した686年(朱鳥元年)、実際にはおそらく神仏習合の影響が顕著になった中世以降、土用殿に神剣が、正殿に5座の神が祀られるようになる。1893年(明治26年)に土用殿が廃されてからは、本殿に主神の草薙神剣および相殿神の5座が祀られるようになっている。
名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する。古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない。
三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。なおこの剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり(「草薙剣盗難事件」を参照)、形代が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれている(「天叢雲剣」を参照)。諸説あるものの、草薙神剣の創祀は景行天皇43年、熱田社の創建は仲哀天皇元年、あるいは646年(大化2年)と伝わる。古くは尾張国における地方大社として存在感を示し、中世以降は政治的・経済的に急速に台頭して、「日本第三之鎮守」(伊勢神宮、石清水八幡宮に継ぐとする意)(『熱田明神講式』)、「伊勢神宮に亞(つ)ぐ御由緒の尊い大社」(『熱田神宮略記』)とされるほどの国家的な崇拝を受けるに至る。
建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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元気に自然に、ノーファンデ宣言。
ほぐし処ケイ・スリー
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