京都の大原野から逃げ延びた隠里、宝塚大原野の素盞嗚命神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。





千苅水源池の北東に位置する山道
山間の水田の隙間に
忽然と現れる立派な鳥居
そして外から鎮守の杜の大きさを見て
その規模がわかります。
早速調べてみましま。
かなり大きい神社であること
そしてあまり記述が無いこと
何故だろうと不思議に思ったら
何やらこの土地は隠里だったようです。

立派な拝殿は神社自体を
包むように建てられています。
何気に後ろにまわると
その神社の大きさが判ります。
見事な御神木と心鎮まる空気
杜に射す光が線を描き
囲いから僅かに覗く神殿を照らす。
この神社と出会えたこと
神さまに感謝ですね。
















素盞嗚命神社
すさのおじんじゃ
兵庫県宝塚市大原野

旧川辺郡大原野村の村社。社叢は、宝塚市の天然記念物に指定されている。

社伝では、応永5年(1398年)に牛頭天王像を遷座させたとあり、14世紀には創建されていたと考えられる。
その後戦乱で荒廃し、慶安5年(1562年)に牛頭天王社として再興された。
明治42年(1909年)、2社の天満神社を神社合祀した。

昭和30年代、西谷の児童・生徒の身長が市内平均より低く、その原因の調査が行われ、両親の身長も皆低くまた、祖父母も曽祖父母も低いことが解かりました。

外部の地区とも交流は少なく、昔の西谷は、隠里(かくれさと)と呼ばれていたという、この隠里の本拠地が、大原野であったといわれています。
大原野で暮らす人たちの先祖は、京都西山大原野より移って来たといわれています。
京都西山大原野は、平安京遷都の前、長岡京の築かれた場所、延暦三年(784)奈良平城京より移されましたが、この長岡を進言した藤原種継が暗殺され、未完成に終わり、
早良皇太子、大伴氏、佐伯氏の氏族や部民達は、それぞれ安住の地を求めて去りました。
ここ大原野にはこの何れかの氏族が來住したと考えられております。
訪ねる家々で感じる、人情的で親切な知的な人柄など、そして奥ゆかしい行事、立派な文化財の遺産などは、大伴、佐伯氏族を偲ばせます。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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