全ての願いを満たすお寺、満願寺/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。












川西の美しい紅葉の寺として
訪れることにしました満願寺。
信者すべての願いは
必ず聞き届けるという満願の仏の
功徳をもって大衆を救おう
そういう思いを込めて
聖武天皇の命により
全国に満願寺建設をすすめられ、
勝道上人が摂津国の満願寺として
千手観音を本尊に開基しました。


源氏ゆかりのこのお寺には
大江山の鬼退治に参加した
金太郎こと坂田金時のお墓があります。


楼門からの紅葉の参道は
訪れる人を喜ばせます。
さらに里山が整備されて
自然に親しみながら
健康的なお参りができました。
お参りをして
願いを聞き入れていただいても
健康でなければ意味がありません
そんな思いもあるような気がします。



満願寺
まんがんじ
兵庫県川西市満願寺町
山号 神秀山 
宗派 高野山真言宗。
本尊は千手観音菩薩
新西国三十三箇所第13番札所

奈良時代に開創され、長い歴史が刻まれた由緒ある寺院です。周囲は山に囲まれ自然環境に恵まれた地に建っています。
ここに大慈大悲の千手観世音菩薩をはじめ多くの古えからの仏様をお祀りして、時代とともに歩んで参りました。弘法大師空海上人のおしえを奉じた真言宗寺院として皆様に親しまれています。

寺伝では、奈良時代に聖武天皇の勅願によって勝道上人が日本全国に「満願寺」を創建することとなった。当寺はそのうちの摂津国満願寺であるとする。

また山号であり山の名である神秀山の由来として、日本神話に登場する神素戔嗚尊が大昔、高天原において乱行多く、ついには出雲の国に追放なるとき、「この地に降臨し給ふ由縁をもって、神秀山と称しまた大慈悲の霊場なる故に千手院と号する」と『摂陽群談』巻十四に載せられています。

平安時代中期には多田院を創建した源満仲が帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄え、やがて多田三山の一院となった。

鎌倉時代の正中2年(1325年)には後醍醐天皇によって勅願寺となり、室町時代に入ってからは源氏一門である足利将軍家の祈願所となり、最盛期には四十九の坊院が存在していた。

江戸時代の宝歴6年(1756年)には円覚院、龍池院、西芳院、新坊など二十近くの数の坊院があったが次第に衰微していき、明治時代に入ると現在本坊となっている円覚院しか子院は残らなかった。

山門にある仁王像は多田院が神仏分離によって多田神社になった際に当寺に移された多田院南大門の仁王像である。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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