あらぎ島の里にある八幡神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。

和歌山から高野山に抜ける
国道480号には様々な自然と風景に出会えます。
そしてそこに暮らす人々の生活には
不便な地形を生かした工夫が伺えます。
その工夫のひとつに美しい棚田があります。
あらぎ島と呼ばれ有田の観光スポットで、
四季折々の風景を彩っています。


その見事な風景を育てた山里に
こじんまりとした城下町。
その城山の八幡さんにお参りしました。

山里の規模に比べて
見事な佇まいは地域の信仰の深さを感じます。
あらぎ島を訪れたら
お参りしたい神社です。
















清水八幡神社
しみずはちまんじんじゃ
有田郡有田川町大字清水

主祭神
譽田別命 氣長足姫命  玉依姫

八幡宮は、応永年間(1394―1428)山城国石清水八幡宮の勧請にかかる古社と伝えられるが、その創祀年代は明らかでないが、社殿敷石に応永20(1413)年の証がある。
八幡宮の壇場は、もともと現在の地より西隣の宮川村柳の地に在ったが、室町時代の永禄年間(1558―1570)、土地の豪族保田山城守長宗ここ紅葉山に居城を構築のみぎり、その守護神として宮川村から城内に奉遷したものとされる。
これよりこの城を八幡城俗に清水城、別の名を紅葉山城と称した。
その後20数年を経て天正年間(1573―1592)、城主保田重宗の時八幡城没落、居城並びに八幡宮共に兵火に罹り焼失したのを、慶長8(1603)年卯11月、浅野紀伊守長晟の臣、亀田大隅守高綱公がこの社を再建した。
現一間社流れ造り檜皮葺きの社殿は、江戸中期の建造である。
明治以前の古文書記録は、八幡宮と清水寺大日堂の棟札及び亀田高綱公に関する一部の文書を除き焼失されたものと推測される。
明治6年4月、別当寺清水寺を分離し、村社に列した。
明治10年8月及び同40年8月22日許可を得て、久野原村岩倉神社、上湯川村日光神社、下湯川村大歳神社外近郷の村社無格社を合併し、同42年12月2日神饌幣帛供進社に指定せられ、大古の深い森林に覆われ神域いとも荘厳、『紀伊名所図会』に有田郡東部にては社殿最も整いたる宮と紹介されている。
昭和27年9月2日宗教法人となる。
(和歌山県神社庁)

あらぎ島
あらぎじま
和歌山県有田郡有田川町清水にある水田(棚田)の通称名。本来は嶋新田と称するが通称名の方が知られており、有田川町ウェブサイトでも『あらぎ島』で案内されている。
農林水産省の『日本の棚田百選』、地球環境関西フォーラムの『関西自然に親しむ風景100選』、和歌山県観光連盟の『和歌山県朝日夕陽百選』に選定されている。
漢字では蘭島と記すが、有田川町ウェブサイトではひらがなで記載されているため本項記事名はひらがな表記とした。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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元気に自然に、ノーファンデ宣言。
ほぐし処ケイ・スリー
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