六甲山を訪れたとき菊理姫と瀬織津姫の関係を調べたのですが瀬織津姫の存在にあらゆる捉え方があり諸説の面白さに触れました。そのこともあり、気多大社から白山比咩神社に向かうときに瀬織津姫神社を見つけました。
こじんまりと佇む村社は瀬織津姫の名の通り控えめで可愛らしい神社です。古事記などから便宜上消えた名前とも言われてますが、社のその強さは消すことができない存在感があります。
瀬織津姫神社
せおりつひめじんじゃ
石川県金沢市別所町
主祭神大禍津日神
金沢市の山間部に位置し、近隣には犀川が流れる。傾斜の急な坂道の傍にあるため、表参道の階段はかなりの急勾配となっている。
裏参道の周辺には竹林が広がる。近辺は、筍の名産地としても知られる。
祭神は、大禍津日神。別名、瀬織津比咩神とも呼ばれる。
創建年代は不詳。
明治元年(1868年)、村社となる。
禍津日神
まがつひのかみ、まがついのかみ
は神道の神である。禍(マガ)は災厄、ツは「の」、ヒは神霊の意味であるので、マガツヒは災厄の神という意味になる。
神産みで、黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神で、『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二神、『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)としている。これらの神は黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神とされている。神話では、禍津日神が生まれた後、その禍を直すために直毘神(なおびのかみ)二柱と伊豆能売が生まれている。なお、『日本書紀』同段第十の一書ではイザナギが大綾津日神を吹き出したとしている。これが穢れから生まれたとの記述はないが、大綾は大禍と同じ意味であり、大禍津日神と同一神格と考えられている。
後に、この神を祀ることで災厄から逃れられると考えられるようになり、厄除けの守護神として信仰されるようになった。この場合、直毘神が一緒に祀られていることが多い。
イザナギとイザナミの間の子に大屋毘古神(おおやびこのかみ)がいるが、これは「大綾」から「あ」が取れて「大屋」になったものとされ、大綾津日神(大禍津日神)と同一神格とされる[3]。スサノオの子で、大国主の神話においてオオナムジ(大国主)がその元に逃れてきた大屋毘古神とは別神格である。
また、本居宣長は、禍津日神を祓戸神の一柱である瀬織津比売神と同神としている。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮第一別宮の荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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