有馬街道の入り口平野のすぐ近くに祇園神社があります。
この祇園神社で毎年7月13日~20日の8日間
疾病や水難などの厄災から逃れ無事厳しい夏を過ごせるようにと祈願する夏祭りが平野の祇園さん。
規模的には小さいながら平野の交差点の上の坂道から祇園神社に上がる階段までの約200mには露天がズラリと並び88段の一直線の階段を上がると境内にまた露天が所狭しと広がっています。
ここ神戸市平野地区は、「雪の御所」という地名がありそれは平清盛が福原京の造営を進めた場所として歴史的にも有名です。
牛頭天王や平清盛が境内から平野の地と広がる瀬戸内を眺め野望を抱き夢を見た場所なのか、その雄大に映る景色は気持ちに勢いを与えてくれます。
祇園神社
ぎおんじんじゃ
神戸市兵庫区上祇園町
大倉山公園の北に位置する祇園山中腹に鎮座し、境内までは88段の急な石段が続く。地元では「平野の祇園さん」と呼び習わされ水難除け・疫病退散・厄除け・大願成就に神徳があるとされている。毎年7月に8日間にわたって行われる夏祭りには多数の参詣客が訪れる
ご祭神
素戔嗚尊
櫛稲田姫命
明治の神仏分離令以前は素戔嗚尊は牛頭天王と同一視されていた。周囲には牛頭天王に起源を持つと思われる天王川、天王橋、天王谷、天王温泉などの地名が残る。
869年(貞観11年)、京で鴨川が氾濫し疫病が蔓延したとき、行疫神として名高い素戔嗚尊を姫路の広峯神社より北白川瓜生山の東光寺に勧請することとなった。その時、広峯社の神輿が平野の地で一泊した地に社殿を建て、分霊を崇め奉ったところが祇園神社創建の由来とされている。素戔嗚尊は仏教で祇園精舎の守護神とされている牛頭天王と同一視されたため、祇園神社はまた天王社とも呼ばれた。広峯社から東光寺に勧請された牛頭天王の分霊は、のちに八坂の地に遷宮され「祇園感神院」(現在の八坂神社)となった。ただし現在、八坂神社は広峯社を祇園神の本社とする主張を否定している。
蘇民将来は祇園信仰と深い関わりがあるお守りで、八坂神社や信濃国分寺など祇園信仰と関係が深い寺社で頒布されている。お守りには「蘇民将来子孫也」などの文言が記されており邪鬼退散・疫病除けに霊験があるといわれる。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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