誰が大統領になっても韓国は「内紛の時代」へ
「レミング」が生む李朝への先祖返り
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/02211701/
2/21(月) 17:01配信コメント69件デイリー新潮
鈴置高史(스즈 오키 타카 부미,Takabu-mi Suzu-oki) 半島を読む
韓国人はレミングだ.
[・『ハーメルンの笛吹き男』という童話で、笛を吹く男の職業はネズミ取りである。
彼は自身の笛でネズミを操り、すべてのネズミを川に導き入れて退治する。
・実際、動物の世界では童話に登場するネズミのような「集団自殺」が存在する。
代表的な動物は欧州北部地域に生息するレミングだ。
・現在、[集団自殺に関する]もっとも有力な説は個体数を調整するための自発的な行動であり、群集心理による自己破壊行動(レミング効果=Lemming effect)とのことだ。
・とても愚かな行動だが「レミング効果」は人間の世界でも見かけられる。
・李明博大統領執権当時の2008年の狂牛病ろうそく集会事態、そして崔善実[チェ・スンシル]ゲート事件によって触発された、いわゆる民衆総決起集会などが「レミング効果」といえる。]
「シンシアリー」の筆名で日本語のブログを書く韓国の歯医者氏も、しばしば韓国人をレミングに例えます。
「 反日という名の、レミングス」(2022年1月16日)では「俗説かもしれない」としつつ、「語源」を記しています。
[・1980年、当時在韓米軍司令官だったジョン・ウィッカム氏が、「韓国の人たちはレミングスのようだ。ただ指導者の後ろに列を作るだけだ。彼らに、民主主義が似合わない体制ではないだろうか」と話したことがあります。]
朴正煕大統領が暗殺された後、韓国は民主化に向け動き出した。
というのに、国民はクーデターを起こした全斗煥少将らについていった、と当時の在韓米軍司令官は驚いた、というのです。
「党争こそは議会政治の原点」.
もっとも「レミング化」に対する警告は韓国人の耳に届きそうにありません。
人は怪しげな情報に踊らされてデモに参加しても、自らの意思で行動したと思い込むからです。
さらに今の韓国人の多くは「大衆行動こそが民主化の証であり、飼いならされた日本人と比べ自分たちは高級な政治風土を持つ」と信じ込んでいるのです。
もちろん、指導層に吹き込まれた結果です。
韓国人の自省の源だった「李朝の欠陥」という苦々しい記憶も抹消され始めました。
「李朝は近代化に向け歩み始めていたが、日本の植民地化により頓挫した」との歴史観が20世紀末頃から急速に広がったからです。
韓国人にとっては極めて心地よい歴史観です。
それまでの「李朝の欠陥により日本に併合された」という見方に立てば、植民地への転落は自分たちの責任になってしまう。
でも、新しい歴史観を持ち込めば「すべて日本が悪い」と言い張れるのです。
李朝滅亡の淵源だった「党争」も政党政治の原点と再評価されるに至りました。
歴史家の朴永圭(パク・ヨンギュ)氏が1996年に上梓し、200万部売れたという『一冊で読む朝鮮王朝実録』がそう説いています。
日本語版の『 朝鮮王朝実録 』から引用します。
朴永圭, パク・ヨンギュ(박영규 Park Young-gyu)
党争性悪論も日本の陰謀.
[・宣祖[ソンジョ]が構想していた党派中心の臣権政治は近代的政治形態である議会政治を導き出せる基盤となり得るものだった。(183ページ)
・党争、すなわち朋党政治では、相互牽制し、対立するのが、実は相互共存する方法だった。
朋党政治の本質的な趣旨は、まさに一党が権力を独占するのを防止するところにあるからだ。
こうした原理は現代の民主政治においても同じく作用している。](191ページ)
「李朝の呪縛」をうち破らんとする意気込みが伝わってきます。
そして、朴永圭(박영규 Park Young-gyu)氏は「党争性悪論」も日本のせい、と主張したのです。
[・韓国人は党争で朝鮮が滅びたという認識を強要されてきた。
日帝強占期に日本により強要された、こうした植民地史観の根本問題は、まさに朋党政治に対する正しい認識が欠如していたことによるものだ。(191ページ)
・したがって、好ましくないと思われる党争、すなわち朋党政治は、決して植民地史観によって強要されたような「亡国的な権力争い」ではなかったのだ。](191ページ)
朴永圭(박영규 Park Young-gyu)氏の「党争正当論」の根拠は、李朝初期の外戚政治よりも近代的であるという点にあります。
しかし、だからと言って血で血を洗う党争が肯定的な結果をもたらしたことにはなりません。
現に、李朝が消滅して100年以上も過ぎた今も韓国は党争の後遺症に苦しんでいる。
それも「党争の大衆化」の結果、李朝時代とは比べものにならないほど党派の間での妥協が難しくなっているのです。
議院内閣制で党争は解消? .
――「現代の党争」を解決しようとの声は韓国で起きないのですか?.
鈴置:その処方箋は論議されつくされた感があります。
メディアに登場するほぼすべての識者が、大統領権限を弱めるべきだと主張します。
大統領が権力を独占するためにやりたい放題になって野党との間で激しい争いが起きる、との認識からです。
具体案としては議院内閣制に変えたうえ「大統領は象徴的存在である」ドイツ型か、「大統領は外交に専念する」フランス型が提唱されることが多い。
ただ、議院内閣制に変えて激しい内部対立が収まるかは疑問です。
張勉内閣は大韓民国の憲政史上、唯一の議院内閣制による政権でした。李承晩政権が大統領制の下、強権を振るった反省から議院内閣制に切り替えたのです。
しかし、張勉政権下でも党争は収まらなかった。
与党に回った民主党が李承晩系の政治家に報復したうえ、張勉首相と対立した尹潽善(ユン・ボソン)大統領が党を割って新党を結成するなど、民主党の内部抗争も激化、政界は混乱を極めたのです。
この先例からすれば、大統領権限を弱めればいいとか、議院内閣制にすればいいといった制度の問題ではないことが分かります。
「対立しても、どこかで妥協する」という政治風土が韓国に存在しないことが原因と見た方が自然です。
先に引用したように、朴正煕大統領も「妥協と寛容を知らぬ苛烈な闘争史は、後代における議会民主々義と政党政治の可能性をそこない……」と、李朝に淵源を持つ韓国の宿痾(しゅくあ)を喝破した。
ただ、その朴正煕政権も次第に「妥協と寛容さ」を失い、反対派への拷問を駆使する独裁に至ったのです。
妥協なき韓国に平和なし.
大正10年(1921年)、自由討究社という日本の出版社が『朋党士禍の検討 九雲夢』という李朝の党争を解き明かした冊子を出版しました。
1919年、日本からの独立を図る三・一運動が起きた。驚く日本人に朝鮮事情を紹介しようと企画された「通俗朝鮮文庫」の一冊です。
この冊子は序文で、東人、西人など派閥間の党争は単なる権力闘争ではなく、一族の餓死を避けるための経済闘争だったと説きました。
農業以外に産業の無かった李朝では、官職を失えば収入の途が途絶えたのです。
相手の一族から友人まで絶滅する党争の激しさは群集心理に特有の自己催眠から来た、と分析しました。
それを説明するために、ギュスターヴ・ル・ボンの古典『群集心理』まで引用しています。
ギュスターヴ・ル・ボン(Gustave Le Bon 규스터브 르봉)
フランスの心理学者、社会学者、物理学者
――なぜ、当時の日本人は「党争」に焦点を当てたのでしょうか。
鈴置:日本でも明治維新という内戦が収まったばかり。
同じ頃、米国も同国史上最大の死者を出す南北戦争を経験しました。
内部分裂はどの国にもあるのです。
なぜ、韓国の党争に異質さを見出したか――。この冊子の序文に答があります。
[・かつて東人たりしものは、子々孫々まで東人の党籍を守り、西人も、南人も、北人も皆斯の如く、伝統数百年、かつて渝[かわ]らざる所以は……。](1ページ)
李朝の党争の異様さは、子々孫々まで数百年にわたって続いた――いつまでたっても妥協がなされないことにあると見たのです。
そして、この序文は朝鮮の宿痾を理解せず、彼らを変え得るとの前提で統治を進めることは「無意味と云はうより、寧ろ害毒の一方」と日本人に訴えています。
尹潽善, ユン・ボソン(윤보선 Yun Posun)
大韓民国第4代大統領。 忠清道牙山郡生まれ。
独立後初代のソウル市長として政界入りし、商工相・大韓赤十字社総裁を経て民主党最高委員に。
4.19革命で李承晩が失脚・亡命すると、民主党旧派の代表格として8月12日に大統領に選出された。