ご遺族の手記

https://www.police.pref.chiba.jp/content/common/000004964.pdf

 


無題(息子が亡くなったことについて)千葉市 29歳 男性

 

 

平成21年9月25日に事故は起きました。

夕方に妻から電話があり、「息子が事故にあった。」と聞かされました。

私は妻をなだめて、社長に事情を話し、すぐに病院に行きました。

 

病院に着くと、真っ赤に目を腫らした妻がベンチに座っていました。

妻に「大丈夫だよ」と声をかけて、しばらくすると先生に呼ばれ診察室へ。

先生の話によると、息子はすぐに手術をすれば大丈夫だろう。と言っていたので、私もきっと大丈夫だろうと思っていました。

 

そして、やっと息子の顔を見れたのですが、その瞬間に私の中にあった余裕の気持ちは一気に絶望に変わりました。
顔は大きく腫れ上がり、今朝見た息子とは変わり果てた姿でした。
私は手術室に行くまで何度も息子の名前を呼んだのですが、反応はなく苦しそうに呼吸をしていました。
息子は手術室に運ばれ、待合室で待っている間、私は神様にずっとお願いしていました。

神や仏を信じる人間ではなかったのですが、あまりに変わり果てた息子の姿にもしかしたら、という思いが私に大きくのしかかり、

必死に息子の手術が成功して、元気な姿が見れますようにと祈り続けました。

 

どれ位の時間が経ったでしょうか・・・先生が申し訳なさそうな顔で手術室から出てきたので、私は悟りました。
「あぁ・・・きっと息子は・・・」
そして先生から告げられた一言は・・・
「一生懸命に処置をしたのですが、出血が止まらず、今付けている人工呼吸器を外せば・・・」

私は溢れる涙を抑え、妻に「Rは頑張ったよね?これ以上辛い思いをさせるのはよそう。」
妻も溢れる涙を抑え静かに頷きました。

 

私は、先生に「外してあげてください。」
とだけ告げ、妻を抱き寄せ、思い切り泣きました。

 

君とお別れしてから、早いもので一年たつね。

1日たりとも忘れたことはないよ。
今でもひょっこり帰ってきそうな気がする。家の中を見渡すと君との思い出がいっぱいある。

7月2日に君の弟が生まれたんだよ。
やっぱり兄弟だね。君の赤ちゃんの時に似ている。

心臓に穴が開いているみたいで病院に通っているけど、そんな風に見えない位元気いっぱい育っている。

心臓の穴はそんなに心配しないでも大丈夫らしいから、君も心配しないでね。

家を見渡せば君との思い出がいっぱいあるのに、君を抱きしめることも出来ない。

小さな手を握りしめてあげることも出来ない。すぐそこに居るのに、もう君の声を聞けない。
もっといっぱい遊んであげれば良かった。もっといっぱい抱きしめてあげれば良かった。

もっと・・・もっと・・・。

 

あ の 日 、 君 の 横 で 一 晩 中 泣 い た 。 悔 し く て 悔 し く て ・ ・ ・ 。
何も出来ない自分に悔しくて・・・。

怒ってばかりいた自分がゆるせなくて。
だけど怒っていたのは君の事嫌いだからじゃないんだよ。

パパみたいな駄目な大人にならないで欲しかったから。立派な大人になって欲しかったから。

こんな事になるなら、もっといい子いい子してあげたかった。

パパもママもみんな元気にしてるから、ゆっくり休んでて。

こんなパパの子供に産まれてくれてありがとう。

 

生まれ変わったら、また家族になろうね

 

 

 

 

子供を帰して!!20才で天国へ召された娘へ 岩本 すえ 58歳

 

私はその日、仕事をしていた。
「○○さん電話です。」「だれから。」と聞くと「ご主人から。」
嫌な予感がした。

夫は、よっぽどのことがないと仕事場に電話をしない人ですし、電話に出ると仕事場の外に居ると言い、更に不安が押し寄せた。

 

すぐ着替えて車に乗り込んだ。「しっかりしろよ。」と夫。

「これは、子供に、何かあったな。」と、それも、病気ではなく警察、頭がボーとしてしまいクラクラする思いをした。
事故に遭ったのは、次女だということも推測できた。近くのトラック出入口と言う。

その場所は、危険な所だからと娘にもよく言っていたのに、どうして。

警察に着くと、ご遺族の確認をと言われた。

夫はすでに、私を迎えにくる前に確認をしてくれた様で、持ち物はいつも次女が愛用している物でした。
その後、近くの葬儀場に安置された。

 

 

姉兄にもすぐ連絡し、姉は東京より信じられないと泣き崩れ2回失神し、友達に支えながら到着した。

兄も、スタッフに車の運転は危険と送っていただき、何でだよと泣き崩れていた。
大型トラックに、巻き込まれ即死と言う。私は母親なのに、顔をすぐには見られなかった。

ごめんね、最後は、お父さん、お母さん、痛いよ、と叫んでいたんでしょうね。昔から、恐がり、痛がりだったものネ。

 

姉の侑子が、かつらを東京にまで買いに行き、顔も綺麗にしてくれて、元の顔にしてくれて、よかったネ。

成人になってから、食事はしなくても顔はいつも綺麗にしていたものネ。姉さんが美容師でよかったネ。

 

通夜、葬儀が4日後に予定され、辛かった。

触れようとすると、触ってはいけませんと係の方に言われましたが、触ってしまい、その冷たさは、一生忘れません。

今の私は、神も仏もないなと毎日を生きています。

どうか、大型トラックを運転する人は安全確認をしっかり行ってください。

また、大型トラックの会社の人は、運転の技術のうまい人を採用して下さい。

命を失っては返ってこないということを、肝に銘じてください。

 

事故から2年、トラック出入口に対し、何の対応もなく、急に曲がってくるし、

歩行者専用道路に注意している様子もなく、危険を感じる場所であります。