【フッ化水素の歴史と概要】
フッ化水素(酸)はスウェーデンのヴィルヘルム・シェーレが見つけた物質で、
当時からガラス表面を曇らす材料としての認識はあったようです。
ただそこから100年ほど用途は広がらず、
フランスの化学者モアッサンがフッ化水素からフッ素ガスを取り出せる
必要材料のひとつとして使えるのを示したことを端緒に(過去記事 こちら)、
フッ化物への原料として様々な用途が拡がったことから
市場が広がった、ということのようです(下図)。
蛍石⇒HF⇒F2 or F-Salts or 販売.
F2⇒Preservation or Nf3 or XeF2 or DY02P or Surface or 販売.
フッ素マテリアルフロー イメージ[文献1より編集して引用]
HFのところで「販売」と書いてあるがここが本記事のポイント
また日本での発展は、
フッ化水素酸製品のパイオニアで今も大きな存在感を示している
森田化学工業創業者の森田鎌三氏により
高純度フッ化水素酸の合成方法が確立され、
東芝の前身会社が製造する電球内部を曇ガラスにして
柔らかい光を作るためのエッチング剤として
大きく需要が伸びたのがきっかけとなったようです[文献2]。
まず無機工業部品の加工需要から発展していった。
その後欧米と同じように様々な機能性材料への展開が進んだ。
で、これらを詳細化したものが下図。
最終製品類はフロンガス、テフロン、ウラン濃縮用途、エッチングガスと
いずれも大量には販売されませんが無いと非常に困るものばかり。
このフロー内にはウラン濃縮用途以外にも
安全保障上非常に重要なものが多数混じっており、
これらの原点となるフッ化水素酸は
極めて貴重かつ不可欠な材料の根幹である。
[文献3]より引用 HF=Acidsparと記載されているが
加工用高純度フッ化水素の用途は記載されていないので注意
【実際の合成とサプライヤーたち】
ここは合成のはなし。
まずは蛍石(CaF2・通称Fluorspar/Fluororite)から始まります。
現在この蛍石の世界市場の生産量の
トップは中国が占めており、次にメキシコ、南アフリカ、ベトナム、モンゴル
と続きますが上位2国でほぼ7割近くシェアをとっており[文献4]
この状況は当面揺らぐことはないでしょう。
賦存量はアフリカもかなり多いらしいのですが
政情安定性とサプライチェーンがアジアの方が強靭で、
原料品位も中国産が圧倒的らしいため。
その蛍石は大きく5つの純度グレードに分けられており、
半導体用途には97%以上の純度を持つ高品位なものが選ばれます。
いつも勉強させて頂いているだぶ先生のツイートにもあるように
第二次世界大戦終了前は北朝鮮からの輸入が多かったそうなのですが
黒電話の爺様がやらかしてから中国へ生産がシフトしたようですね。
まぁ北朝鮮自体は今も昔も実質的に中国の支配下であるため
実際には第三国経由で混流していた可能性は否定できない。
・・・蛇足ですが北朝鮮の問題が国際的に明らかになる以前に
某社に供給されていたとある材料は非常に高品位なものだったらしく、
資源としてはどれも上質なものが採れていた(る)もようです。
高純度蛍石のイメージ [文献1]より引用
実際には紫水晶やヒスイのような色のものもある
で、実反応はこの高純度蛍石を加熱連続回転炉(ロータリーキルン)の中で
濃硫酸で煮ることで進むわけ、
フッ化水素水溶液は高濃度HF域(>~40wt%)程度で
水と共沸を起こすため、”無水”フッ化水素をつくるためには
事前に出来るだけ脱水を行う必要があります。
このためまず材料精製が肝要になり、
濃硫酸で煮るロータリーキルンに放り込む前に発煙硫酸を添加して
脱水して出来るだけ反応物純度を上げる工夫がなされている。
その結果出てくるガスを20℃付近で冷却し、
さらにそこから低沸点成分を濃硫酸などで除去して出来上がり、となります。
[文献5]より引用 ロータリーキルンで蛍石と硫酸をゴロゴロ高温で混ぜて
出てくるHFガスを「洗って」「冷やして」「精留して」ようやく得られる
正直に言うとお近づきになりたくないプラント
欧米で存在感を見せるHF系プラント製造会社”Buss Chemtech”による
蛍石-硫酸用ロータリーキルン(同社リンク) かなりの老舗
こうした反応・洗浄・凝集・蒸留によって出てくるのは
無水の高濃度フッ化水素で、それを更に高純度化したり
超純水とかを混ぜて出てくるのが半導体などでエッチング剤として用いられる
高純度フッ化水素酸になります。
・・・簡単に書いていますがフッ化水素は毒物であり
一歩間違えると作業員を含め周囲の住人が即死または重症になってしまう
レベルの材料であるため[文献6](2012年の韓国での事件など・リンク)、
関わっている各社は安全を最優先にしつつ高純度を追及し、
さらに維持するという極めて難易度の高いプラントを運営していることになります。
つまり容器に使う耐腐食性コーティングはもちろん
計器、シール、構造、全てが何重もの安全対策とノウハウが
詰め込まれたものでなければ実現できない特殊領域の材料で、
部分的にはハステロイなどの高耐食金属も使っているようですが、
おそらく設備のほとんどの液接触部が
変性PTFE系のコーティング材を使用していると思われ、
個人的には移動禁止物質になっても
おかしくないんじゃないのかという印象を受けます。
また取扱いに長けた企業であっても停電などの思わぬトラブルで
外部に漏らしている例があったりしますので
(2008年のステラケミファ社による漏えい事故など:リンク)
どのレベルであっても油断が出来ないのですね。
で、この無水フッ化水素(Anhydrous Hydrogen Fluoride/AHF)ですが、
日本国内では
旭硝子、セントラル硝子、三菱マテリアル電子化成と昭和電工(未記載)により
合成されていて[文献7]、
そこから高濃度~低濃度フッ化水素酸には
ステラケミファ、上記の森田化学工業、そしてダイキン(未記載)の
3社が活躍しているのが現状です。
[文献7]より引用 数字は少し古いので注意 あくまで国内分
(たとえば森田化学、昭和電工は既に韓国や中国などで無水HFを生産しているもよう)
今回問題になりそうなのは赤線で囲った部分
海外ではHoneywell, Solvay, Bayer, Fluorchemie あたりが
結構な生産量をたたき出しており、
最近は中国メーカも相当量合成しているもようですね
(データ古いですが2002年時点での世界生産量が掲載されている
唯一のページはこちら)。
んで今回問題になっているのはそのうち
超高純度フッ素水素酸(フッ化水素水溶液)について。
その純度、12N(99.9999999999%)という常軌を逸したレベル。
どうやって分析するのか、
それこそ大切にして手放さない物の技術のはず。
特に低コストでプロセス的にも実績の多いウェットエッチングに用いられる
後者のフッ化水素酸を12Nレベルで製造・供給できるのは
世界を見渡しても上記の3社しか見当たら
ず(森田化学とステラケミファは中国・韓国でも一部作ってるようだが
今回の規制はそれらも対象になるもよう)、
そこに名だたる半導体会社が依存しているところに
今回の騒動の要点あるということになります
(注:昭和電工殿が開発した技術である
高純度無水フッ化水素(リンク)ダイレクトエッチングは、
無水HFガスと直接SiO2とを反応させて反応物を昇華させるという
かなりダイナミックなプロセスなのですが
まだウェットエッチングほど適用が進んでいないようであるため、
以下これを除外して話を進めます)。
【その用途と特殊性】
超高純度フッ化水素酸が使われるウェットエッチングプロセスは、
下の動画のように半導体製造には無くてはならないものになっています。
エッチング工程のイメージ Zeolinite殿の記事から再掲
3:00あたりからの工程がHFの出番
ウェットエッチングで出来る等方性パターンのイメージ[文献8より引用]
アスペクト比は伸ばせないが工程自体は単純で安い
これに比べガスエッチングは深く掘れるが装置が高くなり、
どちらかというとMEMS向きプロセスでBoschやエプソンなどが強い
このウェットエッチングは
基本的には対象物を溶かすだけの簡単な(!)プロセス。
手元資料では高純度無水フッ化水素で10ppb(8N~9N)が
実現出来ていたのがだいたい1985年くらいですから
そこから40年近くかけてさらに10の4乗オーダで
純度を上げてきたことになり、全く凄まじい技術力。
原理的にはウェットエッチングは6N~9Nのフッ化水素酸でも
使えなくはないから超純水さえ準備すれば出来てしまうが、
製造歩留りが大幅に下がるのは明白で
特に最近はシリコンウェハーが巨大化して
一枚当たりの価格が挙がってきているため
そこからいくつ良品を取り出せるかが
利益率を左右する一つの因子になる。
多数回実施するエッチング工程でのコンタミ量は
製造屋さんにとっては死活問題なわけです。
またレジストを溶かすだけなら
他の超高純度無機混合酸でもいいケースがあるのですが、
SiO2はHFでしか溶かせない。
ここに大きな意味があるわけです。