5/12と5/13で
琵琶湖のほとりへパドメツアーしました
募集はしてませんが有志の方々が集まりましての
上の↑記事の中でも書いてるけど 三井って 外で、護摩法要をする↓
パドメツアー
ほんとは
竹生島へ行こうとしてたんだけど
南東の風で出航できず。
あとから思ったけど
竹生島へ行ってたら
スケジュール的にタイトだったから
これで良かったかもなー
と思いました
なので、せっかく来たので
このへんをおさんぽ
住吉社がありましたので
ご挨拶
鈴、3つ
以前、白姫が
「鈴は3つがよい」
と言ってたなぁ
【余談】
天河弁才天に、五十鈴(いすず)という
UFOみたいな形の鈴が3つ、つながってるものがありますね。
UFOみたいな形の鈴が3つ、つながってるものがありますね。
伊勢神宮のところの川も、五十鈴川ですね。
漢字は、当て字です。
昨日の記事で、
昨日の記事で、
女神の名前は『イ』だと書きました。
『イ』の『音』だと考えてください。
天界につながる音は、金属音
仏教も神道も、金属音を鳴らしますね。
鈴を鳴らせば
天女が来てくれるんです。
(ただ、鳴らせばいいってもんじゃないけど)
天女が来てくれるんです。
(ただ、鳴らせばいいってもんじゃないけど)
女神は水神なので
水がサラサラと流れる音
水がサラサラと流れる音
小石に水が当たって奏でる音が鈴のよう
だから、『いすず』川なのでしょう。
ヴォリーズさんって人が設計した
建築物が並ぶ通り
中は、喫茶店になってたので
ひとまず、休憩タイム
向かいの建物も
風情がありますなー
今は、幼稚園
郵便局
並びにあった古い味噌屋さん
ご主人が亡くなって
もう、作ってないそうだ
移動しまして
白髭神社へ
白髭神社の前の、琵琶湖の中に立つ鳥居
それを使って
弁才天風に
この↑
向かいに鳥居がある↓
のだけど
道路を渡る人々がいて危ないので
門ができて、閉じられてしまった↓
この時は↓私も渡って行きました
上の↑記事の中でも書いてるけど
本殿の裏、
少し上に登ると
岩戸社というのがあります。
横から見ると、こんなかんじ
うしろから見ると、こんなかんじ
中は、こんなかんじ
ここの山はピラミッドだよね〜
本殿の横の、若宮神社
『若宮』というのは
神仏分離令より前には
十一面観音を祀っていたことを表します。
だから、白髭神社は、もともとは
寺と神社が集合(合体)した神宮寺だったのです。
(どこもかしこも、ほぼ、そうだけど)
お昼は
今回のツアーの予定をいろいろ企画してくれたさんが大好きなパン屋さんのパンを用意してくれました!
めっちゃ美味しかった!!
みんな、ペロリとたいらげました!
おなかいっぱいになりまして、
次は
メタセコイア並木道へ
宿のそばの民家の屋根に、猿!
感動的な、野菜たちでした
部屋飲み用に、用意してくれた
シャンパン的な日本酒
(Tiktokで見ると、音楽がついてる)
朝食は、焼き立ての自家製パン!
どれもこれも
みんな美味しかった!!!
すごし!!!
ありがとうございました!!!
二日目は、三井寺へ
入ってすぐは、弁才天
釈迦如来のお堂
三つの石は、きっと三仏ね
こちらは↓閼伽井屋(あかいや)
三井寺の霊泉
ボコボコと湧き出る音をどうぞ
巳井ってことなんじゃないのかね?
と思うのです
もしかしたら、
み~寺かもしれないね⇐巳さん
ここには、左甚五郎作の龍の彫刻がある。
悪さをする龍を釘で打ち付けた
なんて話が書いてあるけど
そんなの嘘だよ
どこかからか、
不思議な動物の鳴き声が聞こえてたのは
孔雀だった。
孔雀は、
修験道には欠かせない。
金堂では、百体観音をご開帳中でした。
でも、メインは
絶対秘仏の
弥勒菩薩ですな!
そのすぐそばに行けて
嬉しゅうございました
嬉しゅうございました
大岩の上に弥勒菩薩の祠が乗っている
のだそうです。
昔は、そのまま剥き出しでしたが
お堂で保護したのだそうです。
徳川家康が寄進した三重塔
灌頂(かんじょう)堂
秘仏の
黄不動明王と
十一面観音がいる、微妙寺
十一面観音は、のちほど入った
文化財収蔵庫に展示してありました。
毘沙門天のお堂だけど、朱い↓
子の神を祀る、十八明神社
毘沙門天と十八明神社
逆な気がするけどなぁ〜
子の神は、
何度も書いてますが
終わりと
始まりを司る女神
それこそが、女神イ
その夫神が、毘沙門天
なんだけど
山に天満(男神)
水に天神(女神)
が、古来の基本の祀り方
だから
天満宮は、男神で
天神社は、女神なのです。
どちらも菅原道真ではありません。
山に天満だから、高い場所にあるのが男神
水に天神で、低い場所にあるのが女神
なんだけど
女神のが強いし立場も上らしく
夫婦山などは
女神のが必ず大きい
琵琶湖のまわりを巡って
鳥のカタチの土鈴を集めよう!
ってことらしい↓
如意輪観音がいるお堂
奥の如意輪観音像から
とても暖かい氣が流れてきました
その向かいの喫茶室で休憩
変わった『おはぎ』
美味しかった~
金堂に、たくさん仏像の中に、
妙見菩薩の像がありました↓
(画像は、ネットから拾ってきました)
三井寺での説明では、
尊星王(そんじょうおう)と書いてましたが。
諸々の星の王者である北極星を神格化したもの。
妙見菩薩・妙見尊星王・北辰菩薩ともいう。
こちらは↓絵の場合
でね
足は、4の字になっていて
足は、4の字になっていて
4本の手は、太陽と月を持つ手と
前で、HAPPYサインをする手がある
その特徴を
みんなでやりました
残りのお堂をまわります。
薬師如来が
真ん中にいます。
で、こちら側に、
大黒天、毘沙門天、弁才天
大黒天、毘沙門天、弁才天
この三体は、三面大黒天として
合体して一つになるお三方。
すべてが、
この三体に集約される
と言っても過言ではないと思う。
この三体は、毘沙門天が中心の場合
大黒天が童子の姿になって、
仏界では唯一の家族型です。
それって、
こちらともそっくり!
シバとパールヴァティと、ガネーシャ
シバ=毘沙門天=天満=牛が付き物
パールヴァティ=弁才天・吉祥天=水神=いろんな動物
パールヴァティ=弁才天・吉祥天=水神=いろんな動物
ガネーシャ=大黒天=智慧の神=ネズミが付き物
そりゃあインドから伝わったんだから
と、お思いのアナタ
縄文時代に
インドから日本に修行に来てたのです。
これも
昨日の記事とおなじで
昨日の記事とおなじで
天皇以前から
文明があり、世界から修行僧が来てた
なんてことは、知られたくないので
仏教はインドから伝わった
としているのですよ。
三井寺は、
私がマイ寺院と勝手に呼んでる
私がマイ寺院と勝手に呼んでる
『道了尊』(大雄山最乗寺)の、
相模坊道了という修験道の師範が
相模坊道了という修験道の師範が
ここで弟子の育成に励んだ時代があったそうな。
相模坊道了のお堂があったような気がしたけど
それは、他の場所と勘違いしてたようだ。
でも、
修験道の開祖といわれる役行者
神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)
のお堂はありました。
役行者は、朝廷と縄文僧侶のあいだに入り
なんとか和睦させようと尽力したようです。
まるで、ナウシカのユパ様みたいなかんじ。
朝廷のためにもなった人なので
歴史上に残ってるのでしょうね。
蓮?菊?↓