平将門は秦野に京の都を作ろうとしていた③END | 心に光を呼びます Padme★yuki

心に光を呼びます Padme★yuki

誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 
 
①、②から続いてます。
 
 
1月28日(金)
将門の居城があったという
龍門寺に来ました。
(秦野に住んでたんだねラブラブ)
 
龍門寺あたりの地名は、御門(ミカド)。
将門は帝(ミカド)だ!
ってことよね。
 
「肩書きなんざ、どうでもいいわいアホくさ~」
と、つぶやいてそうなお地蔵さんの顔↓
 

龍門寺
なかなか立派な建物だ
新しいもののなかに
ちょいちょい古いものがラブラブ
 
こんなお堂がトイレの方にあってね↓
見たいなーと思ったけど
初不動の法要中のようだったので
またいつか聞いてみよう。
飯綱権現、山王、薬師如来
山王の像なんて、ぜひ見たい!
説明↓
 
そのそばの木に、ミカンが刺してあって
最初はカケスがつついてたけど、
私が来たら飛んでっちゃった。
そこへ、メジロがやってきた。
カケスは、取られるもんか!と来るんだけど
私が怖くて枝にはとまらない。
そのあいだ、メジロはムシャムシャラブラブ
カケスの半分くらいのちっこさだけど
肝っ玉はカケスよりでっかいぜグッド!
 
 
境内にあったおことば↓
きっと、
一人の力では難しいことも
大勢の力を合わせれば容易い
って意味よね?
今こそ!!な、おことばキラキラ
 
 
 
あそこの↓お堂が
護摩堂らしく、ずっとお経が聴こえてたラブ
ジャクウンバンコク!
 
すぐそばに、
八坂神社がある。
このあたりが将門の居城ならば
そこに牛頭天王の八坂も置くよね!
 
社殿の裏側にまわると
金目(かなめ)川と大山
素晴らしいロケーションだね!
 
で!この手水鉢が↓
そうとう古そう!!
もしやもしや
将門の頃からのものだったりして~おねがい
 
 
将門が夢で、考えを改めるようにとお告げをもらい
参拝したという、鴨居稲荷社へ。
妙法寺というお寺の中にありますが、
以前は、
タバコ工場の中にあったと書いてありました。
そのタバコ工場とは、今のイオンの場所。
 
①の記事での白泉寺の住職から聞いた話…
秦野は、大昔からタバコを作ってた。
山へ入って腐葉土を運んできて
人糞を混ぜて発酵させて苗床を作った。
そこに種を植えて、発芽させて育てたんだ。
タバコが産業になって
タバコの木の育て方を
秦野の人が全国に教えに行ったんだよ。
秦野にはもう『たばこ祭り』ってのしか残ってないけど、その祭りだって専売公社がやりだしたもん。
秦野に昔からある祭りじゃねえさ。
 
大昔っつーと
江戸時代のキセルなんかに詰めるタバコとか?
 
なんと!最初にヨーロッパのタバコを入手したのは
徳川家康だって!織田信長じゃないんだね!
(献上されたけど記録がないとか?)
1601年にスペインの宣教師から家康さんは
タバコの種とタバコで作った薬を献上されたとか。
薬好きの家康さんですから、栽培したんでしょうね。
そして、丹沢は徳川幕府の御林として管理されてた
(勝手に伐採してはいけない)ので
管理を任せていた秦野の民に
タバコの栽培を任せた
というのも想定できますな!
さてさて
話を戻して、鴨居稲荷です。
境内に入ってすぐにあった↓
浄行菩薩なんて、初めて聞いた。
調べたら、日蓮宗、法華宗での菩薩で
法華経(両者が主とするお経)に出てくるらしい。
 
その向かいには、聖徳太子のお堂。
龍のお顔がかわいいっすラブラブ
 
こちらが本堂
 
で、一番奥に置かれてました。
鴨居稲荷社
こんなところに狛犬がついてるのは初めて見た。↓
もしかしたら、もっと立派な社だったのかな?
そこに付いていた彫刻をここに付けたのかも。
そんで、額を見たら
白玉鴨居稲荷社とな!
そりゃあ~社殿
ぶっ壊されるわね。
白玉ってのは、
真の女神のことなんだもの。
 
太陽神が乗っ取られたから北極星に。
黒がダメなら、白にしちゃえ。
って、民衆もかんたんには捨てなかったのよ。
古来からの真の信仰をキラキラ
 
やさしいフォルムの狐ちゃんたちラブラブ
作った人のお人柄が
うかがえるようですねラブラブ
 
 
この石碑たちは↓
イオンのすぐそばの落合交差点のところに
並んでいる碑たち。
ほぼほぼ、
馬頭観音
すぐそばの木で
ずーっと見てたカラスラブラブ
こちらは↓なんだろう?
百〇田?それとも、百番?
供養塔
 
 
 
 
移動しまして、
大山に来ました。
こちらは、ロープウェイ駅の手前にある
オカミ神社
元瀧のそばにあります。
 
こちらは↓ロープウェイ駅のところにある
根之元神社
 
このように書いてありますが↑
全部、嘘ですよ~爆  笑
大山の根元=ふもとだからです。
(ほんとのふもとは、もっと下だけど)
 
こちらに書いてあることは↑
神社庁的でなくていいっすね。
山頂から出土した祭祀の品々は、
「紀元前約1000年」っていうとわかりづらいけど、
今から3000年前のもの。縄文後期だね。
(縄文時代は1万年以上つづいていた)
 
源頼朝はじめ、多くの武士が
ここに奉献してます。
もちろん、将門も参拝したことでしょう。
昔は、こんな社殿などなかったでしょうが。
 
ここから山頂へ登っていきます↓
岩山ですんで、けっこう大変!
登山シューズを買いにいった人が
「大山に登ります」と言ったら
「なめたらいかん山です」と言われたと。
うん。なめたらいかん。
それは、どの山でもだけど、
大山、なめたらいかん。
 
本殿の下に入れます。
そこで、湧水も飲めます。
ペットボトルを持っていって汲むもよし。
そこで空のペットボトルも売ってますんで
買って汲むもよし。
 
その奥には
★ラブラブ道祖神★が並んでますラブラブ
 
大黒天と恵比寿天↓
こちらも、夫婦神のカモフラージュだと思います。
(大黒天=女神、恵比寿天=男神)
そして、灯明を
自分の願いの場所に置けます。
以前は、お神酒もあったけど
コロナのせいでなくなってるみたい。
 
地下から出たら、
雪がちらついてましたラブラブ
綺麗~ラブラブ
 
茶屋で一休みコーヒー
テラスからの景色ラブラブ
薄曇りだけど、江の島が見える。
 
 
なぜ、大山に参拝に来たかというと
こちらがメインです。
大山寺
1月28日は、
不動明王の初・ご縁日なので
お護摩を受けに来ました。
 
お堂の左側へ行くと
このような場所があります↓
本来は、
こちらがメインだったと思います。
金色の鯉、いましたが、隠れてます。
金龍は、女神です。
 
アーナンダ龍王って、青難陀って書くんだね。
 
こちらの洞穴の奥には
不動明王と、童子たち???
 
 
こちらは↓
稲荷さん
 
立派な宝塔もあります。
 
彫刻が
すんばらしいです!
 
他の不動明王のお寺って
初不動くらいは、みなさん無料で護摩法要に参加させてくれたりするけど
こちらは、普段と変わらない扱い。
大護摩 一万円
って書いてあったので、それを申し込む。
見て見て!
ふさふさ祓い棒(おおぬさ)と、
シャラシャラ金幣キラキラ
金幣でお祓いしてもらえるなんて
嬉しい~~~ラブラブラブ
修法のはじめに、金幣でシャラララキラキラ
おわり頃に、ふさっ!ふさっ!
 
祈祷が始まると
玉じいがごにょごにょとなにかを唱え
そのあと、私は
渾身の祈りをキラキラ
お立ちませお立ちませお立ちませお立ちませ・・・
と、めっちゃ早口で唱えてました。
気づけば、涙がいっぱい流れてました。
 
が、しかーし!
おわり頃のふさっ!ふさっ!とやったあと
修法をしてくださった若めの僧侶の
お父さんなのかしら?住職?
偉そうなかんじだったから。
その人が、まだ修法おわってないうちに
そのおおぬさの乱れを整えながら
持ってっちゃったの!!
失礼ったらありゃしない!!
それ、私に対しも失礼だけど
一所懸命に修法してくれてる僧にも
不動明王にもめっちゃ失礼!!
そもそも、修法に参加してないなら
そのエリア(内陣)に入るべからず!!
そんなの
ド素人の私でさえわかる!!
 
つい、心の中で
ク〇坊主
と、つぶやいてしまった。
いけませんことよあせる
オホホホホ
 
金髪のおばさんが
護摩祈祷、受けたらいかんか?
ナメとんな、まじで。
 
いやー
金髪にするとね
善人ヅラした人の本性が露わになりますよウインク
お天道様はお見通し!!
 
『御祈願をお選びください』に
心願成就がなかったので、
こちらを選びました↓
(人の名前じゃないよウシシ
うしろの絵は、弁才天のお姿です。
(天河弁才天の曼荼羅)
 
 
大山寺から歩いて下山することに。
するとね、
古い、使われてないお堂があった。
額には、
前不動明王
って書いてあるけど、
鈴!?
そして、中を見ても、
なんだか不動明王っぽくない。
護摩壇もない。
そんでもって
隣には、龍神堂
ということはね
『前不動明王』と書かれているお堂は、
善女龍王のお堂だよラブラブ
こうして↑トカゲが・・・いえ爆  笑
龍が、くっついてるんですわ。
そもそも
本物の民たちのために尽くしてくれた女神って
龍に乗って海からやってくる↓
だから、女神と龍は
常に一緒なのですラブラブ
 
でも、横を流れていたはずの川は枯れている↓
まるで修験道が消えてしまったように・・・
 
不思議な突き出た場所
木も生えず、草も生えず、
整備されている↓
その場所を
少し降りた場所から撮る↓
しっかり、石が積まれてできている。
 
こちらは↓
首が折られた石仏さん
神仏分離令という名のもとに
修験道がとことん潰されて
真の女神の痕跡を徹底的に破壊した。
 
これは↓壊せなかったんかね?
 
すんごい岩が続々と登場ラブラブ
 
頭のところを
スコーン!と折るのよね赤ちゃん泣き
 
ここは、女坂なのね~
 
枯れまくりの川の跡↓と、階段(右)
そしたらば、
弘法大師・空海が湧かせた水とな↓キラキラ
近くへ行きました。
(梯子で降りる)
パイプで水を横取りしてるよ
でも、脇から漏れてる。
この、チョロチョロの水が
たまりにたまって、
川になっている!
 
うん!これよね!
一人の力では難しいことも
大勢の力を合わせれば容易い
 
これは、なんていう木?
なんだか、美味しそうって思っちゃったけど
食べられるのかしら?
 
 
 
 
 
さっきの弘法の霊水が
しっかり下まで流れてます!
 
と、また、お堂があった。
 
八意思兼(ヤイオモイカネ)のミコト
っていうのが、古事記に出てきます。
すねて洞穴に隠れたアマテラスを
どうやって出そうかと思案してたところに
ヤイオモイカネが、
みんなでパリピになろう!
と提案したんですな。
楽しく騒いでたら気になってきっと顔を出す。
そしたら、岩戸を開け放って外に出そうってね。
ヤイオモイカネは、思慮深く
みんなの意見をよく聞いてまとめる神。
 
古事記の話は、オリジナルを
持統天皇に合わせて変えてます。
 
メソポタミア方面で、似たような神話があります。
太陽神(父神)が地上の者たちの行いに呆れて
お隠れになってしまい、ずっと夜が続いていた。
これでは作物も育たず、人々が困ると思い、
娘であり妻でもある女神が
(神様ですから関係性は問わないでね)
父神の前でおもしろおかしく裸踊りを始めた。
父神は、笑いをこらえていたが
がまんできずに大笑いしてしまい、
地上に光が戻ったという神話。
どう?似てるでしょ?
 
ここは、御旅所=休憩場所だったのね。
そこに階段があったので
少し登って、御旅所をパチリ。
するってぇとね
その上が気になってしょうがない。
なんだか、社のようなものが見えて
どれどれと登ったけど・・・ない。
 
え~~~
さては、修験なパイセンたちが
登れってか!
 
すると、こーんな大岩が!!
大木さ比較に、自撮りっす↑
で、その大岩にこんな札が↓
『三十三祠 その六』って書いてある。
調べてみた↓↓

男坂、けっこう危険なので
アブナイ所にもあるのかも?

なので、リンク消しちゃったかな?

 

それにしても、

向こう側の岩もスゴイでしょ?

と、大きさ比較に入ってます。自分。

 
そして、降りようとしたら
雷(あの白い木まで行け)とな。
ほんっと、パイセン、スパルタなんすから~
陰になってますが、
これが、白い木↓
枯れてました。
そこで、なぜだかお祈りアップ
 
枯れた幹の穴に、ドングリラブラブ
あとで食べようって、隠してあるのかな?
 
往路はケーブルカーだったんで知らなかったけど
ここで、分岐してたんだね。
足、ガクガクっす。
 
ここまで来たら、弘法の霊水
けっこうな川になってました!!
一滴の水も
たくさん集まれば大河になる!!
世の中を変えることもできるよ!!
 
 
 
 
ここから、1月29日(土)
息子と海老名へ出かけたので
海老名にある
相模国分寺
(将門がここから五智如来を持ち出したて秦野の大日堂へ置いた)
ん~、なんかここじゃない気がする~
とりあえず、境内をまわる。
手水鉢と、うしろの二体は古そうねラブラブ
 
こちらの↓梵字は、『ア』でしょうか?
するってぇと、大日如来???
うっそぉ~ん爆  笑
 
上下が折られてるけど
これは、青面金剛尊でしょう。↓
 
 
 
寺の入口に、こちらが↓青面〇〇・・・
下には、ちゃんと三猿います猿
 
近くには、古墳もいっぱい!
 
そして、地図で見つけた・・・
本当の国分寺跡がある!
そちらへ向かう!
 
そこに、大ケヤキ!!
 
 
すんごい大きさ!二つに分かれてる。
 
歩いてほどなくして、
国分寺跡に到着。
 
国分尼寺ってのも、
必ずセットで建てられた。
昔は、尼僧もたくさんいたんだね。
 
 
 
 
奈良時代からある礎石だよキラキラ
感慨深いなぁ~
塔が立っていた礎石↑
 
中門の回廊↓
 
 
のどかにみなさん
遊んでますラブラブ
元気でよかよかラブラブ
 
 
長い巻物のような記事になってしまい
読んでくださって
本当にありがとうございますラブラブ