なーーーんと!
日にちをまちがえて
一日早く
大阪に到着
まいっかー
どっかいくべー
と、レンタカーを手配して
周辺地図を見る。
ん?
わたし
大阪湾のためのおつかい
計画してたな!!!
これ、いくべー!!
でも
まずは
正しいことが世の習いになるように
聖徳太子さまのところへお詣りに
車のナビ通りにきたら
あら?ここはどこ?状態
天王寺公園って
天王寺じゃないんだ
美しい池
ま、とりあえず
前世の思い出深い
茶臼山へ寄り
ぶらぶら行くと
この神社に出会った。
まったく予備知識ないけど
心のおもむくままに
境内を歩く
へえーーー
熊野詣の、
スタート地点なんだ!
古道を歩いてなくてすんまそん
惹かれる
惹かれる
木の陰になってる
こちら! ↓↓
七夕の星祭り!
西王母!
玄武が憑り代!
これは
妙見大菩薩であり
地球最高最強の女神のことですよ
祠の中には
麻を裂いて作る鉾がある!!
これ↓↓
諏訪のミシャクジにも使う
ミシャクジとは、
ミ・シャクジ
ミは
巳か、女か、どちらもか、
で、
シャクジは石神
(例:石神井公園は、石神シャクジの井)
奈良時代に禁じられた
古代からの真の女神
それが
地球最高最強の女神
隣には白龍社
女神には常に
龍が寄り添う
すばらしい!!!
ご神木も
霊験アラタカみたいね!
本殿の写真を撮り忘れました
が
こちらは撮ってた↓
可愛い
本殿の左側に
イナリ
そのまた
左に
こちらが、あった!
なんで、
外向き?
さっきのちっちゃい土鈴の置物
の、本体だよね?
戦時中に、壊れたと書いてあった。
割れてる
もしかしたら
戦時中ではなく
明治維新???
でも
なんで、外向き?
本来の向き?
堀越神社を出まして
せっかくだから
懐かしい庚申堂へも寄ろう
と思って、来ました。
前回、通りすがりに
訪れた時の記事
庚申の神は、青面金剛
禁じられた女神同様
禁じられた男神なのです。
(夫婦なのです)
関東から東北では
青面金剛の姿が彫ってある石塔は
よく見られるのですが
関西では
朝廷の膝元なので
ことごとく破壊され、
姿を祀れば死刑
というくらいに禁じられました。
なので
三猿を彫るのみ。
もしくは
『庚申塔』と書いてあるだけ。
前回お会いした
御朱印の彼も健在でした
あいかわらず
ほんとにイイ人
心が洗われます
いつも親切をありがとう
「私のイチオシです!」と言われて
四天王寺カレンダーを買ってしまった
(もちろん、彼は私のことなど知りません)
やっとたどり着いた
天王寺
あえて
天王寺と言わせてもらう
本来は
牛頭天王を祀る場所だったはずだから!!
牛頭天王も
明治維新で
ことごとく破壊・抹消された。
なぜなら
天皇よりもずっと前から
信仰されてきた神(仏)だから。
奈良時代に禁じたのに
名前を変え、姿を変え
ずっとずっと信仰されてきたのです。
女神もね
牛頭天王と夫婦である女神も
必ずそばに祀るはず…
そうか!!
天王寺公園が
女神の境内
だったのだ!!!
美しい池や堀越神社が
その名残
だから
鎮宅さん=地球最高最強の女神
を、ひっそりと祀っていたのだ!!
天王寺に到着
まずは
聖徳太子のお堂へ
中に座り
異次元にて
つながる
(ま、妄想です)
聖徳太子堂だけで
おわりにして
『おつかい』へ行こうとしたら
急におなかが下り、転び…
さーせん
ちゃんとお詣りしまーす!!
拝観料を払って中へ
これ↓前回見なかったなぁ!
山の上を聖地として
神殿や生活の場所を築くのは
日本も古代から、修験道の祖である
山岳信仰の僧侶たちがそうしてきた。
インカ帝国が南米に現れたのは
奈良時代に、真の神々の信仰を禁じられた頃
インカ帝国を築いたのは日本人
という説に、合点がいく。
排水溝のおむかいあたりにある
井戸で
地下の水脈の龍へご挨拶
そこで
お昼くらいにらなって
おなかがすいてきた。
(さっき全部出しちゃったし)
なので、外へ出ようと
門へ向かう
そちらには
昔の寺のものがたくさんある。
これなんて↓
三面大黒天の
弁財天=妙見大菩薩(女神)
毘沙門天=如来大荒神(男神)
といってるね
蕎麦を食べました!
美味しかった!
その蕎麦屋さんのある辻が
元三大師のお堂の前!
乾(いぬい)門です。
(戌・亥の方角の意味。北西ね)
知恵の輪くぐりだって!
元三大師は
疫病退散にも
勉学にも
霊験アラタカですよー
英霊堂
もちろん
戦争へ行った方々のためのお堂
天王寺にあった世界一大きな梵鐘も
戦時中に
降ろされて
切り刻まれて↓
武器のナニカに
使われた
こちらは↓
六時礼講堂
と書いてある。
昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから
六時礼讃堂の名があります。
中には
薬師如来がいらっしゃった。
ふぅーん
もしかして
もとは『六字』なのでは?
六字真言の
オン・マニ・ペメ・フム
Om Mani Padme Hum
の観音様を祀っていたのでは?
建物は重要文化財