8/8 廬山寺,三宝荒神社,瑞泉寺 | 心に光を呼びます Padme★yuki

心に光を呼びます Padme★yuki

誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 
8月8日
京都御所内で
天皇即位礼で使用した高御座など
拝見したあと、(前の記事ね)
 
明智光秀ブームですが
(私も楽しみにドラマ再開を待ってます!8/30からだって!)
明智光秀にまつわるもの、
あっちこっちで特別公開が行われてますね!!
 
というわけで
戦に持参していた
光秀の念持仏セット
御開帳中の★盧山寺★
 
門のすぐ横にあった
かわいい祠
 
 
オン・ソラソバテイエイ・ソワカ
弁財天の真言ですねラブラブ
水神さんですのでねヘビ
 
そして、筆塚
筆塚については
★清水寺★の記事で考察を書きました。
 
筆塚の石に、カマキリちゃんラブラブ
美しいですラブラブ
若いころは、キモイ~って言ってた私。
今ではとっても愛おしく感じますラブラブ
 
スマホを近づけて動きを録画していたら
ぴょーん!!と、スマホに飛び乗られました爆  笑
 
こちらは
元三大師(がんざんだいし)のお堂
 
 
欄間に、
三猿!!
ってことは
青面金剛を祀られておるな。
 
真言は、
如意輪観音でした。
下に、小さく書かれている
おんはんどまさんだ
まにしんばらうん
は、不明。
 
南無元三(がんざん)大師キラキラ
 
 
 
では、いざ!
念持仏公開へ!
 
織田信長の★比叡山焼き討ち★の時、
光秀が、廬山寺は戒律寺院であり、
比叡山とは関係ないから焼き討ちは必要ない
と信長に進言した事で
焼き討ちされずに済んだ。
そのご縁で、
光秀は
自分に必要なくなった念持仏を
こちらへ置いていかれたのでしょう。
 
受付のところに
こちらのお寺の奇祭の節分祭の写真がありました。
赤鬼緑(あお)鬼黒鬼
3鬼神がいる。
動画を見ましたらね
赤鬼の持ってるものは炎と剣=不動明王
緑鬼は、斧=牛頭天王
黒鬼は、大槌=大黒天
ですよ。
その仏様たちを
烏帽子をかぶった朝廷の人がやっつける
という、わかりやすい祭の風景
ありがとうございます。
 
節分祭は、
真の神を追い払う祭になってます。
鬼は~外
は、神様を追い払ってる。
だから
(真の神)も~内
福も~内
と言ってみんな仲良しが良いですねラブ
 
ここだけは
撮影可。
ここから先は、撮影禁止。
 
お庭の桔梗は
撮影OKですラブラブ
 
数々の戦を生き抜いてきた光秀を
守護してくださった
地蔵菩薩さま
ありがとうございますキラキラキラキラキラキラ
 
光秀の念持仏の写真↓
 
 
 
 
京都御所の駐車場へ戻りながら
ぶらぶらと歩いていて
こちらに遭遇しました。
 
 
荒神さまって、一般的には
かまどの神様とされていて、台所に祀られたりしますが
ほんとはちがうでしょうね~。
 
なんで、『荒』なのか。
アラ神なのですよ。
 
勘のいい人は、おわかりかしら?
アラ・・・
アラハバキですねグラサン
 
古代から倭人(元祖日本人)が崇めてきた
古代神です。
 
新宮なども、アラ宮なんだと思うのです。
 
 
お地蔵さまいっぱいラブラブ
おんかかかびさんまえいそわか
 
弁財天と
准胝観音が
並んでてラブラブラブ
 
 
 
おなじ並びで、
不動明王と歓喜天(聖天)
 
もう、種になってるわ~
 
 
 
 
 
鴨川の三条大橋へ・・・
 
鴨川の流れをばキラキラ
 
 
 
繁華街の中に
ひっそりと
瑞泉寺があります。
 
 
晩年の豊臣秀吉・・・
非道の天下人になっていました。
自分に逆らう者は即、処刑。
誰も太閤・秀吉を止められなかった。
 
これは
文禄の役と慶長の役(二度の朝鮮半島出兵)
の間の出来事です。
 
跡継ぎと決めていた豊臣秀次(秀吉の甥)に
突然、謀反の疑いをかけ、
(理由は諸説あり)
秀次は高野山へ送られ、そこで切腹。
(秀吉の命令なのか、自ら切腹したのか諸説あり)
しかし
ここからは事実。
切腹から半月もたった
腐りかけの秀次の首を三条河原の処刑場に晒し
その前で、
秀次の妻や側室、妾、子供たち
39人が処刑された。
 
(残酷です)
 
処刑場は、鴨川の中州だったそうですが
現在では整備されて中州はなくなっていますが
処刑場の場所が、まさにこの
瑞泉寺として残されているのです。
 
取り壊すのは忍びないよね。
 
遺体はどんどん川に投げ込まれたので
(もはや、どの首がどの身体かわからなかったでしょう)
遺骨などは残っていませんが
こちらには慰霊のための墓石が並んでいます。
秀次の側室になることが決まっていたけど
まだ会ったこともなかった最上義光の娘・駒姫。
徳川家康が義光に頼まれて
秀吉から助命のゆるしを得たが知らせが間に合わず
処刑されてしまいました。↓
墓石の並びです↓
 
処刑場には
秀次の首の元に、一体の地蔵菩薩像が置かれていたとか。
四条河原の大雲院の貞安(ていあん)上人が
処刑を聞きつけて、せめて心安らかにと
置いたものだったそうです。
その地蔵菩薩像も
瑞泉寺に安置されています。↓
処刑された方々のお人形もならんでいました。
 
記録が残っているから
知られている史実だけれど
凄惨な公開処刑は
他にもたくさんあったことでしょう。
 
秀吉の跡継ぎ・秀頼は、秀吉の子ではなく
茶々(淀殿)が世継ぎを産みたいがために
授かった子らしいです。
それに関わった茶々の側近も
多数、処刑されています。
 
おんかかかびさんまえいそわか
 
秀吉は、どんどん、どんどん
狂気におちいっていった・・・
誰もが、自分の地位を奪おうとしてる
誰も信用できない。
 
誰も、止められなかった・・・
 
病死とされていますが
裏の手を使い
暗殺されたのだと思っています。
 
武士が、武士以外の者に殺されるのは大恥です。
だから病死とします。
 
 
 
境内にこんなものがありました。↓
 
 
寺のくせに
天皇の紋を使うとはなにごとだ!
って、おっかない方々が来ないようにしたのでしょうね。
 
 
 
 
 
瑞泉寺の周辺は
若者の街!ってかんじです。
ここが、処刑場だったことも知らないだろうし
こんなところに寺があるのも
気づかないでしょう。
 
それでいいんだよニコニコ
 
そんな場所は
知られていないだけで
たくさんあるさキラキラアップキラキラ
 
悲しみが残る場所を見つけたら
そこへ行って
想いを昇華するキラキラアップキラキラ
それが
わたしのオシゴトです。
 
 
 
鴨川支流の高瀬川
 
 
 
 
 
 
これにて
金沢から
京都へ向けて
4日間の
一人旅の巡礼はおしまい。
 
(巡礼・おつかい(神事)は、基本的に一人です。)
 
まだまだ
まだまだ
行きたい場所はたくさんある。
 
がんばろっと!!