8月7日のつづきです。
清水寺のお詣りが叶って
(ありがとうございます)
ここからは
ノープラン。
さて、どこへ行こうかな
と、車のナビで周辺を見ていたら
妙心寺
の名前を発見!
そういえば、
やたらと最近、妙心寺の名前を耳にしてた。
よし!行ってみよう!
このポスター↓↓を見つけた!!
明智風呂!!
いつだったか、テレビで見たぞ!
明智光秀の寄付で建てた
僧侶のためのお風呂!
夏季期間限定!
うわー!!
ぜひ見たいー!!
この時、16時近かったので
急いで受付へ行きました。
間に合いました!
ちょうど、係のお坊さんが事務所にいらして
すぐに案内していただけました。
こちらです↓↓
扉が開かれました
この絵は、↓↓なんだろう~?
と、まじまじと眺めていると、
お坊さんが
「それは、お風呂の仏さまである
バッタバラ菩薩の絵だそうです。」
と教えてくれました。
バッタバラ菩薩?
画像検索↓
『トイレに、うすさま明王』
的に、
『お風呂に、バッタバラ菩薩』
なのね
『なぜ、明智風呂というのか』
というと
本能寺での事件後、
織田信長のあとの政治を
自分がおさめて
世の中に麒麟(平和)を呼びたかったが
信頼していた人達の指示をもらえず
冷たくされていた光秀は
(暴君になっていた信長を討ったのは、皆、感謝したが、光秀を後釜にすることは拒まれた)
妙心寺で僧侶になっていた叔父のもとへ来て
自分の財産を託したのでした。
「世のために使ってください」
その後、光秀は山林の中で
農民に殺されたことになっています。
(本当は、身分を捨てて、違う人生を歩んだ)
(天海上人ではないと思います。)
光秀の死から5年後に
光秀に託された資金で
この浴室殿が完成したそうです。
なので、明智光秀が使ったわけではないですが
彼の寄付により建てられたものなので
明智風呂というのだそうです。
こちらは、着替えと、順番待ちの場所。
風呂敷を、『風呂敷』というのは
お風呂セットを包んで運ぶ布
を、そう呼んだのが始まり
だそうです。
お風呂とはいえ
こちらは、サウナでして
これも一つの儀式だったそうです。
この中が↓ サウナです。
順番に入っていくそうです。
4、5人が中に入れるそうです。
すのこの下から上がってくる蒸気の中で
きっと、
水分と一体となる
という法要をしていたのかなあ?
(自撮りです)
釜係が、
ここで↓薪をくべながら
右の釜は、湯浴み用の湯をわかし
左の釜は、蒸気を出すための湯をわかす。
外に井戸があって
給水係がトイを使って水を汲み入れる!、
湯浴みする場所の床は
V字になっていて
排水できるようになってる。
お買い求めのかたは
こちらへご連絡を↓
翌日の
8月8日は、
新幹線のって帰ろう
と思ってたけど
思い出した
鴨川の処刑場だった場所へ行こう!
というわけで
8月8日の朝
車で走っていて
京都御所の横を通る。
そういえば
入ったことないなー
と思い、駐車場へ入りました。
すると
「観覧希望の方は整理券をお受け取りになり… 」
と、放送が聞こえる。
観れるんだ
時間はあるし、
ちょっと観ていこう
と入りましたら
パンフレットをもらった。
ん?
これ、天皇陛下が
座ってたやつだ。
ん??見れるのかな??
と、順路にそって
観ていく。