西表島 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 
 
 
沖縄3日目
 
西表島の道は
この地図の赤い線のところだけです。

そこを走ります。
 
前日に、バスの運転手さんが教えてくれた
イリオモテヤマネコに会えるスポットへ・・・
ここね(笑)↓

看板だけです(笑)


この↓V字型の側溝の説明も聞きました。

セマルハコガメという小さな亀が
道を横断するそうなんです。

普通の側溝U字型だと
亀が上がって来れなくなるので
V字にしてあるそうです。
やさしいなぁ~ラブラブ

この↓標識は、地図の上の方へ行くと出てきました。



星砂の浜




そこにあった
大岩で・・・キラキラ

祈りましたキラキラ
(↓の写真の中に私がいますw)



すぐ隣の月ヶ浜へも寄りました。
道路の案内には
『トゥドゥマリ浜』と書いてありました。

 
理由を調べてみました。
 
トゥドゥマリとは「とどまる」という意味。
伝承では、稲刈が終わるまで
「女を舟にのせて「うなり崎」をまわってはならない」
という掟があり、
いったん舟を降りて歩いて行かなくてはならないので
「とどまる」浜なのだそうです。
 
浜の先の曲がった場所を「うなり崎」といい、
うなり崎御嶽(うがん)があるそうです。
「うなり」とは「女」の事。
御嶽(うがん)は神様のいらっしゃる聖地。
うなり崎御嶽は女神さまで
「航海安全」の護り神なのだそうです。
 
うなり・・・
いなり・・・
 
なまって言えば、
聞き間違えるかも?
 
稲荷は、狐の神じゃないので~
狐は、あくまでも
神殿の門番。
奥におわす神を護っているのですよ。
狛犬と、なんら変わりません。
 
 
トゥドゥマリ浜へ出ます。

浜へ出た瞬間、
Sさんも私も
なんだか感動しましたキラキラ
なぜか、ここが一番好きな浜ってかんじドキドキ

浜辺をぶらぶらと歩くことに。
 
で、いっぱい落ちてるこの↓
タコさんウィンナーみたいなの、なんだ?

Sさん、お気に入りを集めて
写真撮影中

こんなかんじですラブラブ


赤いのは、
こんな状態のようです。


あとで気づきました。
マングローブの種でした!!
川に落ちて、海に流れ着くのですね。
 
足元で
ササササっと動いた
小さな蟹が
誰かの足跡に入ってます。

 
上の地図の☆
この位置から
対岸には
このような岩肌がありました↓



浦内川の奥をのぞむ・・・


波打ち際の音
癒されますドキドキ


知らないおねえさんが
流木の上に貝を並べていました。



素敵~ラブラブ
 
 
有名なニライカナイという言葉の
高級ホテルの前には
ハゼがいっぱい並んでいました。
なんで?



新種のハゼが発見され
ニライカナイという名を付けたのだそうです。
★こちらの記事★
 

浦内川の遊覧船に乗りました。





↓ヒルギの花・・・これを見て
さっきのタコさんウィンナーはこれだ!
と判明しました(笑)

↓サキヤマスオウキ

い~い岩があちこちにラブラブ

これは
見張り番のような岩・・・




遊覧船はここまで。

この先へは船は入れません。
まるで
神域への侵入を防いでいるようです。
 
この先へは
トレッキングで
2つの神の滝を見に行けますが
私たちは帰りの飛行機に乗れなくなるので断念。
残念!!!
 
この川沿いに、
明治以降、いろいろ事業をしようとしたらしいです。
しかし、ことごとく失敗してるそうです。

明治18年から戦後にかけて
西表島では「炭坑開発」が盛んでした。  
西表の石炭王といわれた「野田小一郎」という人物が、
浦内部落を「炭坑基地」とすべく
トゥドゥマリ浜へ石炭積出桟橋をつくりました。
ところが一度も使わない内に嵐がきて破壊されてしまいました。
残骸だけが今もトゥドゥマリ浜に残されています。
そして彼の最期は悲惨でした。
狂乱状態となり糞をまき散らし自分の糞を食べて悲惨な最期であったといいます。 
 
浦内川沿いに、製材所を作ったことがあったそうです。
そちらもすぐに大洪水にみまわれ
潰れてしまったそうです。 
 
1972年
沖縄が日本へ復帰をした時の事です。
「太陽の村」という一大リゾート「観光基地」計画がありました。
真喜屋 優という人物です。
彼は「うなり崎御嶽」を重機で破壊して自分の別荘を立てました。
その時、西表のお年寄りは
「あれはカンヌトゥガ(天罰)が当たる」
と予言しました。
予言通り、10年にして太陽の村は倒産しました。  
 
その後、日本を代表する
「西武流通グループ/社長堤清二」が
太陽の村を買い取り
一大リゾート計画を発表しましたが、
バブル崩壊で天下の西武は片づけもせずに夜逃げ状態だったそうです。
 
 
浦内川は
神の川ですなキラキラ
 

浸食した穴をうまく利用してます(笑)↓








小さいですが↓
イノシシがいました。
イノシシの後ろをくっついて歩く鳥もいます。

白サギ~


遊覧船のりばに帰ってきました。


晴れていたら
川も透明で綺麗だそうです。
また来ます!
その時は、絶対に滝まで行くぞー!
 
 
帰り路で
お昼を食べることに。




イノシシ汁にそばを入れた
イノシシそば


お店の外では

サトウキビから純粋な黒糖を作っていました。

熱心に作り方を聴き入るSさん。


 

 


レンタカーを返すと

シャトルバス発車の時間まで

お買い物をどうぞと

レンタカー店の並びのお土産屋さんの

割引券をもらいました。


お店に行ったら

こんなもの発見!

老舗とらやの、この羊羹は

西表島の黒糖を使っているんだそうです。

工場もすぐそこにあるんだそうです。

 


石垣島の港の土産物店でみつけた 

鈴石なるもの・・・

これが自然にできるって

不思議よねぇ~~~

 

 

 

石垣島をはじめとする

一帯の島々を

なぜ、八重山諸島と呼ぶのだろう?

八重といえば稲田姫

って、ずっと前から言ってるわたし。

 

wikipediaの説明では

「八重山」は

八重山方言では「ヤイマ」([jaima])、

沖縄方言では「エーマ」([eːma])、

与那国島では「ダーマ」([daːma])と発音される。

1719年に刊行された『中山伝信録』には、

「八重山、一名北木山、土名彜師加紀、又名爺馬」

との記載がある。

このうち、「彜師加紀」は「いしかき」、

「爺馬」は「やま」と読むとされる。

この記載では、現在の石垣島と八重山列島が区別されていないが、

「八重山」は「爺馬」と同じく

「やま」への当て字であると考えられている。

 

ヤマ

閻魔(サンスクリット語で、yama)

邪馬台国も、ヤマ

 

八重山というのは

当て字ですね。

 

日本の西の玄関口
ヤマ諸島

西は、阿弥陀如来の西方浄土であり

死後の世界でもあるとされます。

だから閻魔(えんま=ヤマ)とも関係があるのかもね?

そもそも
神様はみんな

おっかない姿だし。

↓ Yama (閻魔えんま)

 

 

戦争で沖縄と硫黄島が

陸上戦になった。

 

消したいナニカがあったんじゃなかろうか?

 

明治時代、北海道のアイヌ文化も

抹消されそうになっていた。

 

消したいんだろうね・・・

縄文の名残を色濃く残してるから。

 

北海道も沖縄も。

 

以前から

何度か書いてますが

北海道から沖縄まで

日本全土が

アイヌ・沖縄のような文明だった。

北と南から

民族が来たのではなく

元々日本全土が

あのような民族だった。

それが、

九州から入った弥生族が

九州と本州を侵略した。

縄文の文明を抹殺した。

だから

日本の端と端、

北海道と沖縄に

似たような文化が残っている。

そう思います。

 

九州も実は

明治維新の時に

維新派で大活躍したおかげで

廃仏毀釈の時

寺は少なくなったが

祈りの文化までは変えさせなかったようで

いろ~んなことが残っているようです。

 

 

まだまだ

縄文日本の解明のために

和の国・日本を取り戻すために

がんばりますよ~!!

 

日本で起きることは

世界にも起きる

 

これは本当だと思います。

だから

日本を、

しゃんとしておかなきゃ!

と思うのです。

 

政治はどうでもいい。

 

一人一人です。

 

がんばりましょ!!