氷川三社 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 
 

1月3日

前日、ラスコー展を観た上野から

『今年の恵方(北北西)へ行こう』

ということになり
地図を見たら

(いえ、実は地図を見る前からその名前は降りて来てた)

氷川女体神社

があったので
そちらへ行きました。
(以前にも来ています)





元々は
武蔵国一之宮は
大宮の氷川(男体)神社ではなく
こちらだったのだそうです。
この石塔の右に書いてあります。




主祭神は
奇(くし)稲田姫(いなだひめ)
奇(くし)は、
普通とちがっている
めずらしい
すぐれている
ふしぎ
などの意味。

明治政府が
稲田姫を祭る神社を
一之宮にしておくわけありません。

稲田姫は、あきらかに
アマテラスよりも前から
日本にいる女神。
高天原から追放されて
日本に来たスサノオが
日本で見つけて
妻にした神ですから。
(そこは古事記でも変えなかったのは
それだけ恐れてるのかもしれませんね)

アマテラスを天皇の祖として
唯一絶対の神にしたい明治政府には
邪魔な存在なのです。

出雲族全般が
邪魔な存在なのです。

妙見信仰、山岳信仰(修験道)
アラハバキ信仰など
縄文文明からのものは
とにかく邪魔。
Before天皇なものは
みんな邪魔なの。
 
 


境内の木のコブが
クマみたいなのです。

  
女体神社に、クマの顔
 
熊野の神は、女神
女体神社の女神と同じ
という
メッセージかしら???(笑)
 

 
社殿の右奥の方に
五社並んでいました。

左の奥には、三社ありました。
全部で八社
 
八幡神って、
八人の勇敢な縄文の国主(王)
のことだと思う
と、前の記事で書きました。 
 

 
こちら↓
夫婦神という組み合わせですね。
IMG_20170103_212903232.jpg
 


手作り感満載の龍がこの中にいます。

 
 
 

神社の階段を降りた向かいに
水で囲まれて
しゃもじ型に、聖地があります。



 
途中にある祠

 
一番奥に
磐船祭を行っていた祭祀遺跡の場所があります。

 
 
 
せっかくですから
三社まわります。
 

氷川・・・
ほんとは字が違います。
簸川(ひかわ)が本当の字です。
なので、
以降、簸川と書きますね。
 
簸川女体神社と
大宮簸川神社は
夫婦です。
その間に
中山神社というのがありまして
元は
簸王子神社
と称しておりました。
夫婦神の子の神社ですね。
 

簸の意味は
箕(み)を上下左右に傾け、
穀物の中に混ざっている糠や塵を
篩(ふる)って取り去ること。
 
竹を編んだこのカタチのもの↓を、
箕といいます。

こうして篩う(ふるう)と
小さな塵などが分離して残るらしいです。
 
要するに
簸川とは、
禊(みそぎ)の川だったのではなかろうか?
 

この一帯は
見沼という
大きな沼地だったのだそうです。
そのほとりに、
三社が建っていたそうです。
 
みぬま
 
本当は、
 
巳沼だったのかなぁ?
 
それとも
 
箕沼で
そこで禊をしたら
清らかになる
根本の自分になる
という意味なのかしら?
 
 
縄文時代は
ものすごく大きな沼地で
海水が流れ込んでいたそうです。



なので、埼玉には貝塚がたくさんある。

鳥居マークがあるでしょ?
あれが
左から
簸川男体神社
簸王子神社
簸川女体神社

オリオン座の三星みたいに並んでます。

弥生時代に水が少なくなっていき
江戸時代に、本格的な干拓が行われたそうです。



では
真ん中の
簸王子神社へ
今の名前は、中山神社ね。




荒脛 と書いて
アラハバキ と読む。

アラハバキは、
縄文からの神といわれてます。

小さな神社だけど
木々に囲まれ
気持ち良い神社です。









社殿の裏に
とても古い旧社殿がありますが



あったはずの
木彫りの装飾などは
すべて剥がされてます。

唯一、わかるのは
扉が二つということ。

夫婦神
を祀っていた
ということがわかります。


前に来た時は
こんなのなかった気がする。
    ↓




そして
簸川男体神社
さすが
大宮氷川神社は
ものすごい参拝客でした!!


なにはともあれ
本殿にお参りしてから
外にある摂社へ。

看板には
左が
アシナヅチ・テナヅチ
の夫婦神
稲田姫の両親です。

でも、右側の社は
稲田姫とは書いていません。
なんでやねん?
本殿に、スサノオと稲田姫
両方祀ってるのかな?

ま、いいや

神社庁がいう祭神なんて
あてにしなーい。



この三社は
富士山の鬼門にあり
なんと!
夏至と冬至では
太陽の道
らしいです。
三社と太陽が一直線になるのだそうです。

なーんと!
素晴らしい!

来て良かったドキドキ





川越に
元三(がんざん)大師ゆかりのお寺が
あったはず~
と、行くことにしました。
なんだか
元三大師が気になる。

濱人さんは、隣の川越不動堂へ
三回行ってます。
私のことを
夢でお告げをもらう前に
関東三十六不動巡りを
三回!
やってるのだそうです。

私が
プーさんに
「あなたは108。
1と8、
足して9でしょ?
あいだに神がいる」
と言われた時
濱人さんは

あ!
36×3=108
だ!

と、思ったそうです(笑)



露店で、
はちみつのベビーカステラ買って

レッツゴー


まずは
川越不動堂で
初護摩メラメラ





元三大師ゆかりの
喜多院はしまってしまったけど
参拝


帰ろうとして
ん?
あそこは何?
と、気になる階段を昇ってくと
そこは
天海上人のお堂がありました。


私が
こんなんなった頃
天海上人が指示をくれたりしてました。

戦国時代
私が忍者だった頃
育ててもらった山本勘助が戦死し
助けられなかった自分に憤慨した。

この戦の世を
終わらせたい

その同じ信念で動いている
徳川家康の忍へと志願しました。
そして
腕を見込まれ
天海上人の直下で
隠密活動をしていました。

なので
私にとっては
拾ってもらった
第二の親父様

お堂の前で

私は、正しく動いていますでしょうか?

と、問いました。

お前はよくやっているよ

と、答えが返ってきました。

ありがたきお言葉
いたみいります。
m(_ _)m

深く深く感謝しました。