昨日の記事の補足です。
天からしてみれば
つながらないのは
自分が拒否してる
ということになります。
と書きましたが
誤解をされないように
補足しておきます。
天とつながる
ということは
神仏や、
守護霊からのサインを
受け取りやすくなる
気づけるようになる
ということであり
視える聴こえるということではありません。
視える
聴こえる
は、どうでもいいのです。
視えたところで
見た目にとらわれ
判断を誤るのであれば
なんにも意味がない。
そもそも
自分の願望的妄想と区別できない人がたくさんいます。
怖い!と感じてしまえば
それはもう、その人にとって
悪いものとして映ります。
自分の感情にふりまわされては
視えたところで
なにも役に立ちません。
それは
聴こえることも同じ。
聴こえることに慢心して
内容を理解せず
言葉だけが先走る
それでは
なにも役に立ちません。
たとえ
不気味な姿が視えたとしても
それこそが本当の神かもしれませんよ?
インドの神々の姿は
ほとんど
おっそろしい姿です。
かわいい大黒天の
この姿は
江戸時代あたりに確立されたものらしいです。
本来、大黒天は
インドでは
シヴァ神の化身であり
マハーカーラという
おそろしい姿をしています。
あなたの目の前に、
本当の姿の神が現れた時
怖がって逃げてしまっては困るので
今のうちから
みなさんにお知らせしておきますよ~!
本当の神仏は
美しい姿
ではないです!
こちらは、
天河弁財天神社にある
曼荼羅の、弁財天のお姿
なまめかしく琵琶を抱く弁財天は
戦乱の世が終わってから考案されたもの。
(だいぶ最近のものです)
基本は、八臂(はっぴ)弁財天
八本の手に武器を持つ姿が
本来の弁財天像。
他にも、
神仏の姿は
三面だったり
三つ目だったり
いろいろですので
今から予習しておいてくださいね。
本当の神の姿が
西洋では悪魔にされてたりするので
勘違いしないように~!
日本の牛頭天王=スサノオ
額の☆のマークは
古来から海で働く人たちの護符です。
(安部清明じゃないよ)
視える人
聴こえる人の
深層心理が
問われます。
だからこそ
明鏡止水の心
が、重要なのです。
前の記事でも書いた
余計なことを考えない。
これが大事です。
ヘタに
視えたり聴こえたり
しない方が
よっぽどいいです。
そんなものに
頼る必要がないから。
私はずっと
天から
見た目にとらわれるな
と、耳にタコができるほど
言われています。
重要なのは
自分の心を
クリアーに
ニュートラルに
保って
良心に添うこと。
自分の心の中は
ちゃんと神とつながっている。
良心こそ
神なのです