沖縄 平和の塔 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

 


1月5日
最北端から
一気に南下して
最南端へ。

最南端の平和の塔

 

 


辺戸岬より
こちらの方が
重い・・・
戦争は
南部の方が凄惨だったと聞きます。
この崖から

飛び降りた人々もたくさんいるそうです。
サイパンにも
バンザイクリフがありますね?
「天皇陛下、バンザーイ!」と
叫びながら
飛び降り自殺するのです。

英訳の方を読んでみてください・・・
Battlefield
バトル・フィールドですよ。
ゲームの中のことなんかじゃない。
生身の人間同士です。






天皇陛下の談話より・・・

昨年は戦後70年という年に当たり,
多くの人々が先の戦争に思いを致した1年でした。
(平成28年の)新年を迎え,
改めて
国と
人々の
平安を祈念します。

東日本大震災から
間もなく5年を迎えようとしています。
いまだそれまで住んでいた地域に戻れずにいる人々や,
仮設住宅で苦労の多い生活を送っている人々があることが案じられ,
こうした人々が寒さの厳しい冬を健康に十分気を付けて過ごされるよう,
そして,被災地域の復興が少しでもはかどるよう,
願っています。
私どもの住む日本は
誠に美しい自然に恵まれる一方,
自然災害を受けやすい環境にあり,
今年も日本人一人ひとりが防災の心を培うとともに,
お互いが気を付け合って,
身を守る努力を続けられることを
心より希望しています。
本年が日本と世界の人々にとって
幸せな年になることを祈ります。
(お正月の談話より)

(こちらは、天皇誕生日の談話)
今年(平成27年)は
先の大戦が終結して
70年という節目の年に当たります。
この戦争においては,
軍人以外の人々も含め,
誠に多くの人命が失われました。
平和であったならば,
社会の様々な分野で
有意義な人生を送ったであろう人々が
命を失ったわけであり,
このことを考えると,
非常に心が痛みます。

軍人以外に
戦争によって生命にかかわる
大きな犠牲を払った人々として,
民間の船の船員があります。
将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が,
民間の船を徴用して
軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き,
敵の攻撃によって命を失いました。
日本は海に囲まれ,
海運国として発展していました。
私も小さい時,船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが,
それらの船は,病院船として残った氷川丸以外は,
ほとんど海に沈んだということを後に知りました。
制空権がなく,輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも,
輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。
今年の6月には
第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ,
亡くなった船員のことを思い,供花しました。
この節目の年に当たり,
かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し,
ペリリュー島にある
日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。
パラオ共和国大統領御夫妻,
マーシャル諸島共和国大統領御夫妻,
ミクロネシア連邦大統領御夫妻も
この訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。
この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり,
そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。
アンガウル島は,今,
激しい戦闘が行われた所とは思えないような
木々の茂る緑の島となっています。
空から見たパラオ共和国は珊瑚礁に囲まれた美しい島々からなっています。
しかし,この海には
無数の不発弾が沈んでおり,
今日,技術を持った元海上自衛隊員が
その処理に従事しています。
危険を伴う作業であり,
この海が安全になるまでには
まだ大変な時間のかかることと知りました。
先の戦争が,
島々に住む人々に
大きな負担をかけるようになってしまったことを
忘れてはならないと思います。

パラオ訪問の後,
夏には宮城県の北原尾,
栃木県の千振,
長野県の大日向と
戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。
外地での開拓で多大な努力を払った人々が,
引き揚げの困難を経,
不毛に近い土地を必死に耕し,
家畜を飼い,生活を立てた苦労がしのばれました。
北原尾は,北のパラオという意味で,
パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。
この1年を振り返ると,
様々な面で
先の戦争のことを
考えて過ごした

1年だったように思います。
年々,戦争を知らない世代が増加していきますが,
先の戦争のことを
十分に知り,
考えを深めていくことが
日本の将来にとって
極めて大切なこと
と思います。



皇后陛下の談話

5月の憲法記念日をはさみ,
今年は憲法をめぐり,
例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。
主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,
かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,
郷土館で見せて頂いた
「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,
地域の小学校の教員,
地主や農民が,寄り合い,
討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,
基本的人権の尊重や
教育の自由の保障

及び
教育を受ける義務,
法の下の平等,

更に
言論の自由,
信教の自由
など,
204条が書かれており,
地方自治権
についても記されています。
当時これに類する民間の憲法草案が,
日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,
近代日本の黎明期に生きた人々の,
政治参加への強い意欲や,
自国の未来にかけた熱い願いに触れ,
深い感銘を覚えたことでした。
長い鎖国を経た19世紀末の日本で,
市井の人々の間に既に育っていた
民権意識を記録するものとして,
世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

宮内庁ホームページより★


両陛下ともに
憲法改憲について
なにげな~くだけど
しっかりと
平和な日本
先の戦争から
深い反省をし、
戦争を放棄した日本

という
方向性を変えないでほしい
というような願いを織り込んでいるように感じるのは
私だけでしょうか?

 


 

 





和を愛し
尊ぶ民族だったはずの
日本人(倭人)

沖縄=琉球国も
和を愛し
尊ぶ民族だった。

神を愛し
神に愛され
周辺国から
敬われていたはずの
神の島だった。

その神の島と
神に近い人間を潰して
人が人を支配する世界を
作り上げようとしてる。
2000年以上前から・・・

闇が深くなる・・・

夜明けは
近い。




かごめ
かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる?
夜明けの晩に
鶴と亀が
統べった
うしろの正面
だあれ?