阿字ヶ池弁財天 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。




芦ノ湖での神事を終え(前の記事)
帰路につきましたが
なぜか道をまちがえる。
ナビが言ってることと
私の手が、違うように動く。
それが2回ほどあって
なんでこっちへ引っ張られるんだろう?
と、チョロっと見えてた看板に
『芦ノ湯』と見えました。
そこの温泉に行けってこと?
でも、帰りがまた遠くなるやん。
と思いながら、進路をナビ通りに戻す。

通りすがりの
お玉ヶ池
いつも通過してばかりなので
今日は寄って行こう。

悲しい伝説が残っていて不気味がられるお玉ヶ池
その伝説はこちらの記事でお読みください。

へぇ~と読みながら
発見
昔は
ナマズヶ池
呼ばれていたと


ほとりに立ってみましたが
鯰神さまはいませんでした。
すでにお還りになられたのでしょうか?

江戸時代、
関所破りの罪人や
箱根の街のいろんな罪人たちを
この池で処刑していたのでしょうか?
お玉ちゃんだけでなく
大勢がここで処刑されていることでしょう。
なぜ、その中でもお玉ちゃんの名がついたかというと
子供だったから。
親に会いたさで、関所破りをしてしまった子に
みんな同情したのでしょうね。

ねんねんころりよ おころりよ
ぼうやはよい子だ ねんねしな
ぼうやのお守りは どこへ行った
あの山こえて 里へ行った
里のみやげに 何もろうた
でんでん太鼓に 笙の笛
美空ひばりが歌うYouTube

という子守唄を、私のおばあちゃんが歌ってました。
誰が子供に歌ってきかせているのかが
この歌詞の中ではわかりませんが
私には、
ぼうやの子守=ぼうやの母
歌っているのは、ぼうやの祖母(姑)
ではないかと
おばあちゃんに歌ってもらっている頃から
そう感じていました。
いつの時代でも貧しい家では
働ける者が働きに出て、家族を助けていました。
幼い子を置いて出稼ぎへ行った母
(うちは違いますけどね)
その幼子も、7,8歳くらいになれば
(お玉ちゃんもそうだったのでしょう)
住み込みの奉公へ行かされました。
カタギの仕事なら良いほうですね。
口減らしで山に捨てられるより
川に捨てられるより
いいです。

(過去世で、親に山に捨てられて忍者に拾われ忍者になったらしい私)
(忍者萌えしてしまうのです(笑))


この池にまた
神が降りてきてもらえるように
標を残してきました。



先へ進んで、
ナビに出て来た
箱根街道の古道資料館というものに寄ろう
と思ったら、甘酒茶屋でした。
甘酒はいただかず
資料館へ~と歩いていくと
古道へ出られるようになっていて
そこに地図がありました。
その地図を見て
芦ノ湯へ引っ張られた理由がわかりました。


阿字ヶ池弁財天
阿字とは、

あの岩のところに書いてある
梵字のアのこと。
(写真は、小豆島の江洞窟

「古密教」には、
歴史的な変動をかい潜って今に伝わるものがあり、
その代表的な修法の一つが
阿字観。
日本の真言宗では、
大日如来を表す梵字の『阿』が
月輪の中や、蓮華の上に描かれた軸を見つめて、
姿勢と呼吸を整え瞑想する。

阿字はすべての梵字に含まれており
すべての宇宙の事象にも
不生不滅の根源
として含まれている
と考える。

あらゆる神仏は全て大日如来の顕現であり
その身体は宇宙そのもの
であるとされます。  
つまり、全ての諸尊は大日如来の応化身であり

救いの対象によって姿を変える事)
一粒の微塵の中にも
大日如来は存在している
と考えられています。


I AM HERE ではなく
I AM EVERYWHERE ということ。
映画『LUCY』見たばかり(笑))

(さらに言えば、
すべてのものの中に、神は存在し
すべてのものは、神の中に存在している。

自分の身体にたとえてみて。
細胞一つ一つは、私の中にあり
細胞一つ一つの中に、私がある。
ということ。
だから私たちは、神の身体の中に存在している
ということ。
だから、お天道様はなんでもお見通しなんだね。)


サンスクリット語では
「偉大な光照者」
と言う意味を持ちます。
永遠に光り輝き闇を照らす太陽になぞらえて
”大日”如来と漢訳されました。
また”如来”とは真理の世界から来た者を指し、
悟りの境地に至り真の仏となった者を意味する言葉です。

元の記事


さて
梵字のが表すのは大日如来なのに、
阿字弁財天です。
どういうことか?
説明の文中にありましたね。
救いの対象によって姿を変える
ある時は、やさしい女性的な姿
ある時は、戒めのための恐い姿
ある時は、親しみやすい子供の姿

いろんな菩薩さんの名前や
神様の名前があるけど
どれもどーだっていいんです。
がんばって覚えた人には申し訳ないけど
みんな同じでいいんです。
ア様なんですよ。
要するに。
ア様のことを書いてる記事

姿なんて
なんだっていいんです。

それにとらわれてしまうのなら
梵字だけでいい。

それが
阿字観なのかもしれません。


古道資料館ですが(笑)

薄暗くて、人形にギョっとしてしまうけど
面白かったです。

入ってすぐに、赤穂浪士のエピソードの一つが
ここで起きたことだという話。




雨合羽が、油紙で作られていたことや
身分によって色が違うことなど
興味深いです。





そして!!
芦ノ湯がある朝日弁天山では、最古の縄文土器が見つかってます。
1万2千年~1万3千年頃のものだそうです。



というわけで
ますます阿字弁財天へ行かなければ!!
と、向かいました。


阿字ヶ池です。

看板
アップ

説明では、
葦が繁茂していたから、
あしのうみ

という内容ですが
違うと思います。
古代からここは、
ア神を祀る聖地でした。


と書いて、ひらめきー
ア神 
ア・シン

シンは、シュメール語で
月神を意味します。
ということは
ア日シン 
両者を内包する
まさに、盤古
盤古について書いた記事

アシン
を祀る聖地
だったのでは!?

だから
あしのうみ じゃなくて
アシンのうみ
だったんじゃなくて!?

ひゃーーー!!!
たった今、自分でひらめいて
びっくり仰天!!!

それに対する芦ノ湖は
アシンの子
という意味なのかもしれませんね。
芦ノ湖にいた龍は
大きな立派な龍だけど
九頭龍ではないです。
九頭龍神社があるのは
慈悲の心の九頭龍神=十一面観音菩薩を祀り
生贄とされた娘たちを弔うためです。
九頭龍の生贄


それにしても
温泉場にするために池を小さくしてしまったとは
罰あたりもんめ。
ま、慈悲深い神は
病に苦しむ人を救うためなら気にしてないでしょうけど。
(金儲けの私欲のためなら話は別)


弁天社はこっちの方。




かなり大きいみづうみだったのでしょうね。
「あしのうみの湯」という温泉もあり
いかさまにも=嘘のような
不思議な話しが多い

と、鎌倉時代の人が残した話。
江戸時代に、うみを小さくされる前の時代の人が語ってること。



祠の中には、宇賀神がいました。

弁天さまとはペアでよろしく。
ハトホル女神を書いた記事

左にある石碑

なんて書いてあるんだろう~~~
知りたい。

地図で見ると
この
アシンのうみは
神山、浅間山、屏風山の三山の真ん中にあります。
神山と屏風山の間から芦ノ湖が・・・
見えませんが(笑)

そして不思議なのは
みづうみ温泉
同じ場所にある
ということ。
これこそ
が共存する
神の世界です。
淡(アワ)の世界
さんずいは、水
炎は、火
日本は豊富な水に恵まれ
火山も多いけど
地熱や温泉にも恵まれている。
恩恵を授かってますね私たち。
温泉大好き~なら火山に感謝


ちょっと前まではこちらに弁天社があったみたい。

ここの狛犬ちゃん
阿吽だけど、両方オスでした。
お股を見てみてね。


女神を祀っているから
両方オスなのかな???
よく、女神はヤキモチ焼きだからとか
聞きますが
どうなんでしょうね?(笑)
お神輿かつぐのも男性ばかりだしねー(笑)


地図で、阿字ヶ池弁財天のさらに上に
ゴルフコースがあって
そこ、西武プリンスですね。
西武は、徳川家康が大事にした場所
(天海上人が聖地とした場所)を
どんどん買い占めたことで有名です。
芦ノ湖の九頭龍神社も
西武園の九頭龍の森の中にあり、
参拝するには入園料を払いますね?
箱根神社の元宮も西武の土地。
もしかして~
あのゴルフコースは、元々
寺があったんじゃないの?
阿字弁財天の神宮寺として
大事にされてきた場所なんじゃないの~?

今度、そこ泊りに行こうと思ってます
箱根湯の花温泉ホテル