2月16日(日)大國魂神社パドメツアー参加者募集中
前の記事から続きます・・・
第三京浜を走行中、突然、エンジンがガタガタとブレ始めた。
なんだ!?なんだ!?
とりあえず、次の出口で降りようと
料金所を抜けて
千茅さんがアクセルを踏んだら
ガス欠状態のように、反応なし!!!
千茅さん、落ち着いた判断で
「無理。走らない。」と、
路肩へ惰性で移動させる。
しばらく、車を休ませてみることに・・・
いったいどういうことだろう?
この近くで行くべき場所があるということか?
と、ナビの地図を見ると
『観音堂』の文字が目に入る。
でも、そこは墓地の中だよ~?
他の場所を見ても、ピンとこない。
やはり、ここか・・・
千茅さんに
とりあえず行ってみよう
とお願いして
車を走らせると、さっきのブレなど全然ない。
スムーズに目的地到着。
山の上から沈む夕陽を眺めました。
なんだかよくわかんないけど
美しい日没が見れて良かったね
なんて話していたら
千茅さん・・・
「なんだか、頭が痛い」
「私も、肩が痛重い・・・」
今度は何~~~
車はすっかり快調に走っている中
観想してみると・・・
着物姿の女性が見える。
若くて、とても高貴なカンジ。
姫っぽい。
「あなたは誰?」と聞くと
北条・・・
足利・・・
と、キーワード。
まだわからないよ~
たかうじ・・・
娘・・・
足利尊氏の娘ってことだね?
と、検索。
ありました
鶴王(たづおう)
生年不詳 - 文和2年/正平8年11月9日(1353年12月5日))
室町幕府初代将軍足利尊氏の娘。
鶴王は、文和2年(1353年)10月ごろから病気にかかり、
医術の治療や陰陽道の呪術が施されたのはもちろん、
父尊氏の護持僧三宝院賢俊をはじめとする
高位聖職者たちが病気平癒の祈禱をこらしたが
効き目がなく、11月1日には、前天台座主で青蓮院門跡の
尊円法親王にも同様の祈禱が依頼され、
尊円は6日から除病延寿の効験があるとされる
冥道供の勤修を開始している。
当時の仏教界の最高権威を総動員して
祈禱が行われていることから、
両親の溺愛ぶりがうかがえる。
しかし、不幸にして鶴王は11月9日に死去してしまった。
wikipediaより
で、疑問。
どうして北条の名が出てきたの?
小田原・・・
嫁入り・・・
え?もしかして
北条の誰かと結婚するはずだったの!?
そして、父・尊氏が
鶴王が嫁入りする時は、盛大な花嫁行列をしようと
いつもいつも話していたのだと
教えてくれました。
その父の想いを遂げられなかったこと
自分が家どうしを繋げなかったことを悔やみ
大勢の方の祈祷で魂が重くなり
旅立て(成仏でき)なかったこと
などなど、涙ながらに教えてくれました。
(ここは、意識が同調してるので私が泣いている)
姫を小田原へお連れすることになりました。
明日、行きましょう。
千茅さんにも、姫のお付きの方々が乗ってるので
痛重~~~
姫の魂が本当にハンパなく重いので
全部が乗ったら、私、潰れそうなので
分散して乗ってくれてたようです。
去年、ブレスレット作成会をしたお店へ行って
お喋りして、
帰り際に、千茅さんに乗ってる方々が私に移動・・・
んが~~~
ちょ~~~痛重~~~
明日、朝一で行こう~~~
1月17日
鶴王姫ご一行を背負って小田原へ向かう途中
川匂神社の看板を見つけて
姫が「行きたい」と。
相模国の二の宮です。
随神門の、名前が気になりました。
櫛 と 豊
櫛稲田姫 と 豊受姫
というカンジじゃないですか?
こちらの神様は、裏山に棲む大きな蛇神様ですよ。
姫に、蛇神様のエネルギーをいただきました
これで姫は、人の魂から神の魂へと変換
女神となりました
なるほどね~~~
ナビからはずれて
なんでこの裏道を通ったのかな?
と、思ったよ(笑)
茅の輪がありました。
駐車場へ戻ると、雲間から太陽の光が
寒椿がたくさん咲いてます
では、いざ、小田原城へ。
天守閣へ
とのことですが
まぁ、そう急がずに、姫も調度品など見たいだろうし。
かんざしが展示してあって
二人で あれいいねこれ素敵だねなんて
ふつーの女子トークをしながら
天守閣へ到着。
さて、どこに姫を降ろすのだろう???
と、外を眺めていたら
地上にコスプレ姫たちがいた(笑)
展望をぐるりと回って
土産ものなどを物色して
こんなハンカチ買っちゃって(笑)
で、どこに姫を・・・
とりあえず、お茶買って一息つこう
と、買って
振り返ったところに
なんだこれ?
と、寄ってみると
中には
これだぁ~!!!
ここに姫を降ろすのねっ!!!
説明を見ると
キタキタ
天女の武神
摩利支天だって
そういえば、日光で、
そなたが着るのは鎧だ
って言われたな~
この小田原城の摩利支天は
江戸時代の藩主・大久保忠朝(1632~1712)が
旗本との間の次男として生まれながら
藩主になり、老中にまでなったのは
若い頃から摩利支天を信仰していたからだ
と、言われているらしい。
1686年に天守閣に安置されたのだそうだ。
本当は、御天守八尊が祀られてあったそうだが
地震や火事からも逃れ
明治時代になって城を取り壊す時にも
この摩利支天だけは護られたそうだ。
さて、姫
この摩利支天像に
お遷りなされ
と、一人遷宮を済ませて
お付きの方々も降ろしたけど
足利の兵隊さんたちはどこへどうすれば?
と、考えたら
まずは腹ごしらえ
とな(笑)
実は、お蕎麦も食べて、お汁粉だったのだ(笑)
おなかいっぱい
昔からあるであろう
石垣の石に
宿ったようでございます。
と、城の周りを歩いていたら
猫さん登場
ふわふわな毛が大好き
でもね
まだ残ってる。
あなたたちはどうしたいのだろう~?
とりあえず
小田原の街中を散歩してみた。
そこで出会った
この稲荷。
近くに遊郭ができて
遊女さんたちがここへお参りに来てたそうだ。
なるほど( ̄∀ ̄)
今度は
婿入り
だね
仲良くね~
隣が、というか、この稲荷はお寺の境内にあるのですね。
龍雲院善光寺だそうです。
稲荷を見護るように立っている観音さまに
彼らを託してきました
お堂のところにあった
不思議な石と花
では帰ろうと歩きだしたけど
まだ、いるんだよね。
実は、これ書いてる今も、まだいます。
どうやら足利の兵たちではなく
会津藩士たちのようです。
立派な甲冑を来てる方もいます。
千茅さんにも来てるようです。
彼らはどこかへ行きたいのか
それとも、誰かに会いたいのか
それは今日、これから、わかると思います。
会津・・・
行かねばかな。
駐車場に辿り着く前に
私の目の前に鳩が降りてきた。
誘うようにトコトコ歩くので、ついていった。
鯉がたくさんいる池に来ました。
鯉にさわりなさい
ということだったので
若い小さい鯉の背中を触ってきました。
なんだったんだろう?(笑)