岡山城と後楽園 | 心に光を呼びます Padme★yuki

心に光を呼びます Padme★yuki

誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

 



出発した12月3日、伊勢湾沿いの神社

4日の早朝、お伊勢参り禊の神社

五十鈴川対岸の別宮たち

伊勢神宮内宮

伊勢神宮外宮
と、続いてますm(_ _)m


12月5日
伊勢から出雲への中間地点あたりを考えて
そのへんに宿を予約。(当日予約ね)
それで、岡山県へ行きました。
車をひた走らせて宿に到着。

さて、このご近所には何があるかな?
と、探しだす。

今までの私の旅で学んだこと・・・
宿の周辺に必ずナニカある!!
だから、特に予定を立てずに動くことにしてました。
お導きにお任せするんです。

宿でのんびりしながら、
どうも、岡山城が気になる。と、検索したら、
小早川秀秋・・・って、聞き覚えがあるなぁ・・・
あっ!!!
関ヶ原の戦いで、

豊臣秀吉側から徳川家康に寝返った人だ!
それで、岡山城の城主にしてもらったんだっけ。

千茅さんは、「由加神社が気になる~~~」と言ってて
岡山城のそばにあるようなので
じゃあまずは、岡山城で!!と、決定。


かいもーーーん!!!

131205_0942~01.jpg
岡山城は、烏城(うじょう)とも呼ばれ
そばを流れる旭川を天然の堀として利用した、漆黒の城。
いかにも強そうな城だったそうです。

え~・・・まずは、遊ばせてください(笑)
こういうの見ると、やらずにいられないもんで( ̄∀ ̄)
 

籠にも乗れまするよ
 

はい。
終了~。


で、なぜここへ呼ばれたのか
理由は、こちらの親子でございました。
 
宇喜多直家さん(真ん中)が、苦労の末、
岡山城を中心として宇喜多家の領内を安定させた。
(いろいろ汚い手も使ったと書いてありますが)
だが、長男の秀家(下の人)が10歳の時に、病死。
織田信長のはからいで、
所領はそのままとして秀家が家督を継ぐ。
秀家の母が、羽柴(のちの豊臣)秀吉に取り入り、
秀家は秀吉から寵愛を受け、我が子のように育てられる。
恩返しとばかりに武功を挙げ、五大老の一人に任ぜられるが
豊臣秀吉、死去。
関ヶ原の戦いでは、もちろん秀家は石田三成につき西軍。
徳川家康隊(東軍)に次ぐ兵の多さで東軍と戦ったが
小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅。
小早川隊の裏切りに激怒した秀家は、
「松尾山(小早川の陣)へ行き金吾(秀秋)を叩き斬ってやる!」
と叫んだそうだが、家臣に制止され、敗走。
秀家は、変装して、島津義弘たちに匿われていたが
島津が匿っているとの噂が広がり、家康に引き渡された。
この時、島津と、娘の豪姫を嫁がせている前田利家の懇願で
死罪は逃れ、八丈島に流刑となった。

裏切り者の小早川秀秋が、宇喜多家領の、岡山城主となった。

石田三成と共に戦った大谷吉継が
関ヶ原の合戦で自害する際、秀秋の陣に向かって
「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん!」と言って切腹している。

小早川秀秋は、岡山藩主となってわずか2年で死去。
子もなかったので、池田氏が藩主として入り
4代目、池田綱政が、日本三名園の後楽園を造園。


だいぶ、はしょって書きましたー
(私も一緒にお勉強)

ほんとに、人に歴史あり。だよね。

宇喜多秀家さんは、妻や子と一緒に八丈島へ移され
親戚からの仕送りなどでなんとか暮らしていたそう。
関ヶ原の戦いに出陣した武将では、一番長く生きたとか。
それにしても、この肖像画・・・
むちゃくちゃ美男子じゃないですか?(笑)
 
無念な思いだったでしょう。
恩義に篤い人だからこそ、裏切り者の小早川などに
自分の所領を奪われて、はらわた煮えくり返ったことでしょう。
秀家さんは、徳川家康のことは人として好きだったとか・・・
家康さまも、秀家さんに一目置いていたとか・・・
敵・味方など無ければ
きっとものすごく理解しあえる親しい仲になっていたことでしょう。
双方の想いを、一つに和合して参りました。
 
涙が出てきました。

この石垣は、秀家さんの時代に作った石垣だそうです。
 

 

岡山城の入館券を売っていたおばちゃんが
「後楽園もぜひ行ってきて綱政が作ったのよ
って、綱政の母のように言ってたので
後楽園と共通券を買ってました。

岡山城を出て、後楽園へ。
ジェットコースターはありません。
 
後楽園の池です。
白姫は、鯉にも姿を変えますよ(*^^)v
 
慈眼院。綱政さんが観音さまを安置したらしい。
今は観音さまはいないそうだけど。
 
門の後ろの大岩の亀裂は、
これだけの巨石を運び入れるために、
いくつかに分割して運んだのだそうです。
すごいなー。手作業だよ!?

って、あたし、高校の時、修学旅行で来てるはずなんだ。
ちーーーっとも覚えちゃいないよ8119.gif ファイル00720001.gif 

お堂の縁側に、吉備団子と寒椿の花がお供えしてあった。

 心遣いが素敵だわ

その隣に、
由加神社があった。
 
 
由加大権現って、中のお札に書いてあるけど
何者だろう?

「此の山は無双の霊地にして、
梵刹を開き、三密瑜伽の行を行い、
我を瑜伽大権現として祀るべし」と
夢のお告げを受けた行基(668~749)が、
天平5年に開山したとの伝承。
行基が阿弥陀如来・薬師如来の二尊を祀ったのが
瑜伽大権現信仰の始まりと伝わる。

 

 

五流修験道の本山である五流尊瀧院の
長床縁由興廃伝によれば、
瑜伽山は新熊野那智山とされ、
五流尊瀧院(本宮)・諸興寺(新宮)・瑜伽山蓮台寺(那智)を
新熊野権現3社としていた。

(wikipedeaより)

由加山蓮台寺

由加=瑜伽(ゆが)で、ヨガの語源らしい。
感覚器官が自分と一つに結びつくことによって
心を制御する精神集中法や、
自己を神と結ぶことによって
瞑想的合一をはかる修行法をいう。

(wikipedeaより)

なるほど~。
当日は、わからないまま、光降(笑)
 
隣の稲荷も、光降
 

桜の木がたくさんある中に
こんなにネジネジな木が(笑)

結婚の写真撮影のカップルが2組。
互いに、着物を見あっていた(笑)女心ね(笑)
どちらも素敵よお似合いですわ

素敵なお茶室がありました。
 
旭川の流れ・・・
 
時代は変わっても
川は流れる・・・ 

橋の下のひだまりでくつろいでた猫さん
 
その時の猫さんブログ
 

 

松琴寺と西大寺につづく